青井阿蘇神社楼門(国宝)
人吉市の観光ということであれば、熊本県で初の国宝となった※、青井阿蘇神社ははずすことはできないでしょう。創建806年(大同元年)ですから、実に1200年の歴史があります。
(※国宝指定を受けたのは、本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門の建造物5棟と、本殿内にある造営時の棟札1枚と銘札5枚。)
こちらの楼門も国宝指定建造物の1つ。桃山時代の華麗な装飾を取り入れた寄棟造茅葺の門です。
青井阿蘇神社楼門の神面
楼門屋根の隅に、神面が取り付けられているのがわかりますでしょうか。このようなところに神面を取り付けるのは全国でも例がなく、京都大学矢崎美盛教授が著書「様式の美学」で人吉様式と名付けました。
神面は楼門屋根の四隅にあり、それぞれ陰陽一対(阿・吽の形相)で設置してありますから、計8つの神面がとりつけてあります。陰陽一対は、荒魂(あらみたま)を陽で、和魂(にぎみたま)を陰で表現しているとされます。
(荒魂、和魂は神道における概念で、神の霊魂が持つ2つの側面のこと。荒魂とは神の荒々しい側面を、和魂は神の平和的で穏やかな側面を指します。)
青井阿蘇神社禊橋(登録有形文化財)
青井阿蘇神社の門前にかかる禊橋(みそぎばし)。朱色の欄干が目を引きます。架橋時期は大正時代の1921年で、蓮池に南北に架けられたコンクリート造の三連アーチ橋で、県内に現存する最古のコンクリート橋梁とされています。
6~7月ごろには、池いっぱいに広がった蓮の花が見頃をむかえるそうです。
青井阿蘇神社の鳥居
国宝 青井阿蘇神社
平安時代の大同元年(806年)に阿蘇神社の分霊を勧請(かんじょう)して創建されました。鎌倉時代初期に相良氏が遠江(とおとうみ、いまの静岡県)から当地へ入国してからは氏神としての崇敬を受け、地域色を強めてきました。
現在の社殿群(本殿・廊・幣殿・拝殿・楼門の五棟)は慶長15年(1610)から同18年にかけて人吉藩主の相良家20代長毎(ながつね)の命により造営されたものです。
社殿の特徴は、楼門に代表される急勾配の茅葺屋根や軒から下を黒漆塗としつつ、組物や部材の面に赤漆を併用する技法など人吉球磨地方の独自性の強い意匠を継承する一方で、彩色や錺(かざり)金具などは桃山期の華麗な装飾性を取り入れており、その後の倒置法社寺造営の規範となっています。
また、廊の龍にみられる秀麗な彫刻や特異な幣殿殿形式は、広く南九州地方にその影響を与えたとされています。
平成20年6月9日、県内に現存する文化財としては初の国宝に指定されました。
【現地案内板から引用】
青井阿蘇神社拝殿
青井阿蘇神社の国宝としての価値がどこに見いだされたかというと、5つの統一的意匠を持った社殿群が、慶長年間に一連のものとして造営されていることが1つ。全国的に見ても、一連の建造物群が同一年代で統一されていることは希だからですね。
また、青井阿蘇神社の社殿は、中世球磨地方特有の独自性の強い意匠を継承しながらも、桃山期の意匠を意欲的に取り入れるなど完成度も高く、近世球磨地方における社寺造営の規範となっていることも評価されているとされます。
青井阿蘇神社の平面形式の特徴は、T字型になった拝殿の形式にあります。人吉球磨地方で見られるL字型は、拝殿の右側に神供所(じんくしょ)を設けるものですが、青井阿蘇神社ではさらに左側に神楽殿があります。
青井稲荷神社
境内社は現在、稲荷神社、興護神社、宮地嶽神社、大神宮の4神社となっていますが、かつては10社以上もあったとのこと。
青井阿蘇神社ご神木のクスノキ。郡市最大の楠で、人吉市指定天然記念物(昭和33年指定)となっています。樹齢は不明ですが、樹高21.5mとかなりの高さで、長い月日を感じさせます。
おくんち祭、夏越祭、稲荷神社の初午の三大祭をはじめ、さまざまな祭りが催されています。特におくんち祭りはかなり盛大に行われていますので、祭りの時期にあわせて訪問なされるのもいいですね。