曹洞宗大梁山大慈禅寺(大慈寺)

 

大慈寺(だいじじ)は、熊本県熊本市南区野田にある曹洞宗の寺院です。開祖は寒巌義尹(かんがんぎいん)という禅僧で、曹洞宗開祖である道元の高弟であった方です。

 

本寺を開祖するにあたっては、寒巌義尹に帰依した地元の地頭であった河尻泰明が、境内地を寄進して弘安元年(1278年)に創建されました。

 

 

こちらの山門は、享保五年(1720年)に七十八世大梅天常和尚代の建築とされます。

 

かつては重要文化財の梵鐘を二階につるしてありましたが、昭和61年に新しく建立した鐘楼に移されました。

 

 

昭和56年国指定重要文化財に指定された鐘楼。

 

寒巌義尹が弘安十年(1287年)に作成したものだということです。

 

 

大慈寺の山号は大梁山(だいりょうざん)。大慈禅寺とも称します。開山の寒巌義尹が順徳天皇第三皇子(※後鳥羽天皇皇子という説も)であったため、朝廷との結びつきが深く、亀山上皇により紫衣の允許を賜っていたほど。

 

熊本地震で被害を受けた仏殿内部

 

かつては四町四方を社領地として有し、境内には殿堂僧房たちならび、五十あまりの田畑、常任僧侶百人を越え、隆盛を誇った大慈寺。

 

しかし、明治時代の廃仏毀釈や、農地解放による社領没収などで一時は荒廃を極めたといいます。昭和42年以降、数代の住職の指導のもと、時間をかけて再興されてきたのですが、そこに平成二十八年の熊本地震が起こり、多大な被害を被ったとのことです。

 

それゆえ、仏殿におさめられているはずの、県指定重要文化財である木造釈迦牟尼坐像及び両脇侍立像(迦葉、阿難)も見ることが叶いませんでした。

 

 

七堂伽藍の一つである、法堂(はっとう)。入口がふさがれ、立ち入ることができませんでした。

 

往時の説法道場であり、読経供養の殿堂でもあります。(昭和五十九年再建)

 

 

 

霊廟所前の2基の層塔。

 

左右ともに本来は十三重塔であったとされ、左側は花崗岩製、右側は凝灰岩製で永仁五年(1297年)の銘文があります。

 

 

霊廟所内にある、凝灰岩製の宝篋印塔。

 

霊根塔とよばれているもので、これは寒巌義尹の墓であると伝えられています。

 

 

霊廟所奥にある2体の宝篋印塔。

 

寒巌義尹の御両親の供養塔であると伝えられており、左側が父君である順徳天皇、右側が修明門院とのことです。寛永年間に緑川の対岸釈迦堂村の極楽寺から移されました。

 

 

六地蔵尊、水子地蔵尊。

 

 

熊本地震からの復興途上の復興途上にありますが、長い歴史をほこる規模の大きな寺院で、七堂伽藍の内部に立ち入ることはできませんが、それでも広大な敷地を散策しますと、寺社仏閣が隆盛を誇った当時の雰囲気を味わうことができますよ。