熊本県内最古の駅舎・網田駅

  
明治32年より現存する、熊本県最古の駅舎、網田駅をご紹介いたしましょう。国登録有形文化財(2014年12月19日登録)としての名前は、「JR三角線網田駅本屋」といいます。
  

 
JR三角線は、宇土駅から三角駅に至る全長28.2kmの私鉄路線(九州鉄道株式会社)であります。開業当時、門司-三角間が本線の位置づけであり、宇土-八代間のほうが支線でした。
 

  
三角線には9つの駅がありますが、開業当時からの駅の本屋(駅舎)が現存するのは網田駅だけです。県内最古の駅舎であり、九州でも2番目に古い駅舎となり、九州における貴重な近代産業遺産の一つに数えられています。
  

 
駅舎の施工は、当時、間組の下請けとして三角線の工事に従事した西松桂輔氏(西松建設創業者)が関与しているとされています。

駅舎の設計は、当時の九州鉄道株式会社の技術者のようですね。
 

 
なお、現在、網田駅は、 NPO法人網田倶楽部が指定管理者として 駅舎管理や切符販売を行っています。

駅舎の一部では、網田レトロ館という土日祝のランチタイムのみ営業している駅カフェも営業しております。次回は、網田レトロ館をご案内させていただきますので、お楽しみに~!

緑川ダム その3

  
緑川ダムの内部。日常ではあまり見ない、急勾配かつ長い階段です。「ここまで急勾配だと、ときどき転落する人がいたりしませんか?」とつい聞いてしまったほど。手すりもあるので、実際のところそんな人はいないそうですが。

階段脇には、浸入した水を排出するための水路が設けられていて、絶えず水が流れていってました。
   

   
緑川ダムは幅295m、高さ76.5mですので、高さでいうと熊本城2個分あるんだって。通路も果てしなく長いです・・・。

スケールの話でいうと、ダム湖の貯水量は、 福岡PayPayドーム26個分(4600万立方メートル)だそうですよ。
   

  
洪水時の放水施設である、オリフィスゲート。ダム中央部に位置し、高さ6.3m×幅6.2mの3門のゲートです。最大で毎秒2000立方メートルの放流が可能なんだって。
  

  
オリフィスゲート3号機を見下ろしてみる。1門でこの圧倒的スケール感・・・。なお、この写真でわかっていただけるか不安ですが、水が流れていく放水路はアーチを描くようになっていて、それに沿って水が流れていくのだそうです。
  

  
オリフィスゲートの制御盤。

緑川ダムには、3門のオリフィスゲートとは別に、クレストゲートという、高さ13.6m×幅8.4mの非常用ゲートが堤体上部に左右2門ついています。これはオリフィスゲートだけで放水が間に合わないというときの非常用ゲートになっていて、いまのところクレストゲートを使用する状況に陥ったことはないのだそう。
   

ダムの底部から、上部を見上げてみる。右に見えるのが、水力発電用の送水管で、左に見えるのがオリフィスゲート。
  

  
ダム直下と下流3kmの地点に設置された3つの水力発電所において、最大35140kw、年間では36000世帯に相当する電力を生み出すことが可能となっています。

奥に見える水力発電所は、改修工事を行っている最中のようでした。
     

  
熊本を洪水被害から守り、農業用水を供給し、電力を生み出している緑川ダム。普段意識することがないダムという存在ですが、一度無料のダム見学をして、われわれの生活にどのように役立っているのかを見てみてはいかがでしょうか。

緑川ダム その2

  
緑川ダム編、今回はついにダム内部の見学にまいります!

座学が終わり、 みどりっ湖情報室から屋外に出てみると、緑川ダム管理所の擁壁に、可愛らしいくまモンがあしらわれているのが見えました。

     

     
これ、なんとコケで描かれているんですね!

高圧洗浄機で図柄の部分だけを残して洗い流したんだとか。このサイズでやるには、なかなかの大仕事になりそうですね。
  

  
ダム上部が道路も兼ねていまして、その緑川ダム堤道路を歩いて、ダムに向かいます。

ダム湖である肥後みどりかわ湖では、岸辺でダムフェンス(網場)に漂着した流木などを撤去する作業をしていました。 湖面に浮かぶ三角形のものは、湖水浄化設備のようです。
  

  
ダム堤道路から見た、緑川ダム。

オリフィスゲート(洪水時の吐水口。写真中央の三角状の部分。)がすこしだけ見えます。

ダムが巨大すぎて、ダム全体がはいるように写真撮影をするならば、離れたところから撮影しなければなりませんね・・・。
  

  
ここからダム内部にはいっていきますよ~!
  

  
エレベーターで降りていくのですが、ダムの高低差がわかるように、階数表記とは別に地上から何メートル下がっているのかを表記してくれていました。
  

中はさながらダンジョンのよう。
続きは、その3で!

緑川ダム その1

緑川ダム その1

緑川ダムは、 重力式コンクリートの主ダムと、ロックフィル式の脇ダムの2つのダムで形成されており、主ダム上流側に 肥後みどりかわ湖を形成しています。 昭和46年(1971年)3月に完成し、4月から緑川ダム管理所において維持管理を行っています。  

   

霊台橋の近くに位置していますので、石橋見学などで美里町を訪れる際には、ぜひ緑川ダムも見ていって欲しいスポットです。

今回は時間の関係上、主ダムのみの見学となりました。
  

    

  
2週間前に予約が必要 ではありますが、平日の9:00~16:00であれば、無料で見学ツアーを組んでいただけます。まずは、 みどりっ湖情報室 にて、スライドを使った概要説明があります。史跡など歴史知識については、自信があるものの、ダムのことはあまり考えたことがありませんでしたから、ここぞとばかりにたくさん質問をしました。
  

見学時間の目安(70分程度)

  • ダムの概要説明‥20分程度(みどりっ湖情報室2階)
  • ダム堤体の上からの見学‥20分程度(説明有り)
  • ダム堤体内見学‥‥30分程度
        

  
緑川ダムは緑川の洪水調節を主目的に、かんがいと発電の機能を併せ持つ多目的ダムとして建設されたことなどを説明されました。
  

ダムカード・緑川ダム

学習のための配付資料とともに配布されたのが、噂に名高いダムカード!Gの文字は、重力式ダムであることを示しています。いまはダムカードを集めている人もいるようですね。
   

  
座学がひととおり終わったら、とうとうダム内部の見学に行きますよ!つづきはまた来週!

霊台橋

熊本県美里町にある霊台橋を今回はご紹介いたします。

昔の街道名でいうと日向往還に架けられた橋で、明治以前に架橋された単一アーチ式石橋としては、日本一の径間(=橋脚間の長さ)を誇ります。

ここは船津峡と呼ばれる川の流れの速い難所で、この石橋が架橋されるまでは、木橋が増水するたび流されてしまい、住民は困っていたそうです。
  

この橋のすごいところは、昭和41年5月に新霊台橋が架橋されるまでは国道橋としてバスやトラックがこの上を通行していたということです。(写真左の緑色の橋が、新霊台橋)

明治33年に県道の一部となりましたが、そのときに石橋の上にさらに石垣を積んで、石橋を平らにし、自動車が走行できるように改良されました。車道としての役割を終え、歩道橋となった現在は、もとの姿に戻す工事が行われ、架橋当時の姿に復元されています。
  

いまでも国道橋であった時代の名残りを見ることができます。階段は復元工事のときに作られたものですが、石垣部分は国道橋時代の状態であると思われます。階段を上りきったところが、国道橋時代の橋の高さであったということですね。
  

霊台橋の緑川左岸には、内大臣森林鉄道の隧道跡が残っています。写真中央下に見えるトンネルですね。大正4年から昭和37年まで運行されていた路線で、甲佐駅から山都町の貯木場を結んでいました。
  

れいだい
霊 台 橋(国指定重要文化財)
緑川本流の最大の難所、船津峡に架けられた日本一の単一アーチ式石橋です。

この橋は、1847年(江戸時代末期)に、当時の惣庄屋 篠原喜兵衛のもと、
種山石工の卯助兄弟、大工の棟梁の伴七、さらには、近在住民の総力を結集
して完成したものです。

橋の前兆約90cm、アーチのスパン27.5m。昭和41年に上流の鉄橋が
架けられるまでは、この石橋をバスやトラックが走っており、人を渡し、
物資を渡し、文化を渡していた。
環境省 熊本県(現地案内板より引用)
 

名前の由来ですが、「霊台」とは物見台の意味であり、心霊的なものとはいっさい関係ありません。

大勢の大工や農民の協力のもと、工期が6~7ヶ月程度とありえないほど早期に工事が終わったことが、中国の古典「孟子」の中での霊台建設の話に類似すると考えた篠原善兵衛が、故事にあやかり「霊台橋」と名付けたそうです。
   

近くにある緑川ダムも無料で見学できますし、美里町は石橋も多いですので、緑川ダム見学とセットに石橋ツアーというのはいかがでしょうか。
    

舞鹿野田橋

美里町には38基もの石橋が残されておりまして、町のホームページに石橋マップが掲載されているほどの、県内随一の石橋スポット。有名所では、ハートが浮かび上がる二俣橋が、よく知られていますね。

そんな美里町に霊台橋(れいだいきょう)を見にいきまして。その記事はまた来週にとっておいて、その周辺にも貴重な石橋がいくつもありますので、まずはそちらをご案内させていただきます。
   

舞鹿野田橋(もうかんだばし)は、江戸時代後期に架橋されたといわれています。 二和田地区の農道に架橋されていて、名前も 舞鹿野(もうかの)という地区の人たちと開田しあったことに由来するそう。
   

舞鹿野の地名は、もはや地図にも載っていませんので、橋の名前としてのみ現代まで残っているわけで、なんだか歴史浪漫を感じさせます。

美里町指定文化財となっていて、現在も通行することが可能です。 路面長 6.7m、幅 1.8m、水面より5m。
   

上部が平たくなっていて、きれいな円形ではなく、扁平形という珍しいアーチ形状の石橋です。構造上どうしてこれが100年以上残っているのかと思うほど、上に乗るのもすこし怖い感じではありますが・・・。

場所はマイキッチンというお弁当屋の裏になります。
   

霊台公園に架橋されている岩清水橋。もともとは仁和田地区の小長野にあったものを昭和56年に移設したものとなります。 架橋時期は不明。長さ5.00m、幅2.35m。
   

霊台公園からは、霊台橋がよく見えるのだけど、まったく管理がなされておらず荒れ放題で、ロープがかけられ、残念ながら上には登れないようになっていました。何かあったのでしょうか・・・。
  

霊台公園からは、霊台橋がすこし見えました。昔はもっとはっきり見えたのですが・・・

高橋稲荷神社

高橋稲荷神社 神門

    

みなさま新年は、お詣りは済まされましたか?

わたくしは高橋稲荷神社まで、初詣に行ってきました。


こちらは日本稲荷五社や、日本四大稲荷九州三稲荷などに数えられる、日本を代表する稲荷社でございます。

   

初詣となると、駐車場にはいるための渋滞が毎年えらいことになります。

元旦の朝9時頃に訪れましたが、駐車場にはいるのに30分ほど待たされることとなりました。

   

穀物の神様である宇迦之御魂(ウカノミタマ)神を祀られています。

家内安全、商売繁盛といった、生活に密接した御利益があるとされ、初詣にはたいへんな人気があります。

    

高橋稲荷神社は、山の上に作られた神社ですので、このように街を一望できる、見晴らしのよい展望所もあります!

   

稲荷神社は鳥居がたくさんありますが、願い事が「通った」お礼の意味から、江戸時代あたりから鳥居を奉納する習慣が拡がったようです。鳥居1つ1つに、寄贈者の名前が記載されていました。

   

年中行事としては、毎年2月に行われる初午大祭には、福餅まきなどの行事がたいへん盛り上がりますので、多くの参拝者が訪れますよ。

     

鳴岩の湧水・前川の井川端(熊本水遺産)

鳴岩の湧水

平成の名水百選に選ばれた金峰山湧水群のうち、今回2つをご紹介させていただきます。

まずは、熊本市西区花園7丁目にあります、鳴岩の湧水から。

  

鳴岩の湧水

高さ10mもの高さの岩石から、水の流れる音がすると 肥後國誌に伝えられている「鳴岩」。岩の割れ目から湧水が湧き出しており、取材したときにもちょうど水を汲みに来た住民のかたが2組いらっしゃいました。口当たりがよく、おいしいお水として人気があります。

「神風連五士自刃」 の地としても知られていますね。

    

前川の井川端

熊本市西区花園7丁目の柿原地区にある共同水場。

井戸や湧水のことを井川(いがわ)とよびますが、こちらも「井川端(いがんはた)」と呼ばれています。水道が供給されるまでは、ここは飲用・炊事・洗濯に使われた、地元の貴重な水源でした。

  

地元有志により、いまでも水場はきれいに保たれています。また、湧水ですので、水道水よりも水温が高いとのこと。

   

くまもと「水」ガイドの認定を受けておりますので、熊本の貴重な水遺産はほとんどすべて、実際に足を運んで、知っております。熊本の水源地巡りをされるときには、ぜひ加来タクシーをよろしくお願いします。

天福寺

天福寺

明けましておめでとうございます。本年も加来タクシーをどうぞお引き立ていただきますよう、よろしくお願いいたします。新年一回目となりますので、新年にふさわしい、縁起の良い名前のお寺さんを、ご紹介いたしましょう。

こちら天福寺さんは、新西国三十三ヵ所観世音菩薩の石仏が建立されており、観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるといわれています。

    
   

  

訪問時はちょうど毎月十八日の観音例祭の日であったようで、思いがけず住職様方よりおもてなしをいただきました。

  

住職様から、

「せっかく来たんだから、ちょっとお茶でも飲んでいかんですか。」

と言われたときは、いままで訪問したあらゆるお寺でそんな声がけをされたことがありませんでしたので、正直すこし戸惑いました。

  
   

のっぺ汁や漬物、お菓子、干し柿などを、お茶とともに出していただきました。

訪問者をこうしておもてなしするのが、天福寺さんのスタイルだということでした。

  
  

庭では、にわとりが普通にそこらを歩いていました。いまでは農村でもあまり見かけない風景のような気がします。鳥小屋には20羽くらいはいたでしょうか。

   

第一番の観音像

ご馳走をいただき、おなかもいっぱいになったところで、新西国三十三ヵ所観世音菩薩巡りをしていこうと思います。1番目だけが出入口近くのところに離れて鎮座されていましたので、住職にたずねるまでは、どうして1番目だけないんだろうかと、不思議に思ってしまいました。

  

実際に新西国三十三ヵ所を巡ることに比べればなんてことはないんでしょうけど、倒木や枯れ木などで足場が悪くなっており、もう少し手入れされていれば・・・とも思うところではありました。

最近では手伝いにきてくれる人も少なくなって、管理が行き届かないことが多いそうです。 住職様は介護もしながらの運営になりますから、相当なご苦労をなさっていることと推察いたします。

   

ところどころ枯れ木が集めてあって、たぶんそのうち燃やすんだろうな、という感じでした。

後半の観音様にいくにつれて、立派に新しくなっている感じがありました。

     
   

第三十三番目の観音様

延宝六年(1678年)に肥後藩主第五代綱利の発願により、清水町打越にあった名を継承し、開山された歴史のあるお寺です。

毎月18日は観音例祭、4月18日には大祭もあるということですので、お祭りの日にあわせてご訪問されてみてはいかがでしょうか。

   

くまもと水の迎賓館~お手水の森(旧柿原養鱒場)

くまもと水の迎賓館 受付

 

柿原養鱒場は、昭和37年6月20日にオープンした施設で、加藤清正公も愛飲したといわれる水源地「お手水」のある広大な庭を散策したり、釣りを楽しんだり、ニジマス料理をいただける施設として、熊本県民に長年愛されてきました。

 

ところが熊本震災後は、施設にも地震の影響が及んだとのことで、しばらく営業をしておらず、残念に思っていました。

 

 

 

2018年9月より熊本タクシー株式会社に営業譲渡され、名称を「くまもと水の迎賓館」に変えての営業再開にこぎつけたようです。

 

元からのオーナーさんもいらっしゃるようで、店舗と施設を貸与して営業を委ねる形であるようです。

 

くまもと水の迎賓館 メニュー

 

お庭の散策はあとまわしにして、まずは腹ごしらえ。どれもニジマスを堪能できるメニューです♪

 

ニジマスの天ぷらと塩焼きを味わえる、梅定食をいただきます!

 

くまもと水の迎賓館 梅定食

 

ニジマスの天ぷらがまた、食べ応えのあるボリューム!塩焼きは身がやわらかく、秘伝の酢醤油につけていただくと美味ですよ。

 

 

お庭の眺望を楽しみつつ、料理をいただけるのが特長のひとつ。

 

こういう格式のたかいところで、会社で特別なお客様へ接待をしたり、年に1度の贅沢に家族で来るのも良いですね。

 

 

お手水には、加藤清正公の石像があります。

 

健磐龍命(たけいわたつのみこと)が火の国巡視の際、ここの冷泉で手水を使われたことから、ここを御手水と呼ぶようになったと言われています。

 

細川綱利公は、ここにお茶屋を作ったと言われています。

 

 

水鳥が集まる白龍の大池。水鳥もわかっているようで、遊歩道からいちばん遠いところに集まっていました。

 

 

釣り堀。釣ったお魚はお買い上げになりますから、必要なぶんだけ釣るかたちです。(一度釣ったものを逃がすのはNG!)

 

 

メタセコイアが池のまわりに建ち並びます。

 

 

本年はみなさまたいへんお世話になりました。

 

来年もまたブログを更新していきますので、今後もなにとぞよろしくお願いいたします。