桜の馬場城彩苑近辺から見た、熊本城のいま

 

熊本城の現況を、外からうかがい知る方法ですが、前回は加藤神社から見る方法をご案内いたしました。今回は、桜の馬場近辺から見ていきましょう。

 

これは撮影場所は御幸橋のたもとで、崩れているのは馬具櫓の石垣です。左の熊本城の石碑が、角度がずれてしまっているのにもご注目ください。

 

特別史跡 熊本城

日本三名城の一つに数えられる熊本城は、加藤清正が幾多の実戦の経験を生かし、慶長六年(一六〇一年)から七ヶ年の歳月を費やして完成したものと伝えられている。周囲五.三キロに及ぶ豪壮雄大な構えで、百二十余の井戸を掘り、かつては櫓四十九、櫓門十八、城門二十九を数えた。

明治十年(一八七七年)の西南戦争で多くの建物を焼失したが、薩軍の猛攻撃に耐え、名城としての真価を発揮した。

熊本城の石垣は、特異な勾配と堅牢さで知られ、「武者返し」の石垣と呼ばれている。なお現在の天守閣は、昭和三十五年(一九六〇年)に再建されたものである。

(熊本市/案内板から引用)

 

 

飯田丸五階櫓の工事をやっている工事関係者が、「写真撮るなら、ここからがよく見えるよ!」と言ってくださいましたので、近くによって撮ることができました。馬具櫓の石垣の崩落部分です。

 

馬具櫓

馬具を収納したことから名前がついたと考えられる櫓で、平成26年に復元されました。本震で石垣に膨らみが生じ、度重なる余震の影響で、5月10日13時56分に崩落しました。

(熊本城調査研究センターの掲示文から引用)

 

 

竹の丸では、現在、飯田丸五階櫓の石垣復旧工事が進んでいます。一本足でふんばっている、あの飯田丸五階櫓ですね。

 

 

御幸橋のたもとには、加藤清正公の座像があります。

 

熊本には清正公の像は各所にありまして、例をあげると、健軍神社参道には馬上の清正公、八景水谷公園には土木治水工事を指揮する清正公、本妙寺の上に槍を天につきあげた清正公がいらっしゃいます。(あと、たしか柿原養鱒場にも清正公の像があったような気がします・・・、今度確認してきますね。)

 

 

熊本城の南側に沿って坪井川が流れていますが、その沿道は石畳で作られた遊歩道になっていて、熊本城をながめつつ散歩ができるスポットになっています。

 

 

坪井川にかかるこの行幸橋。熊本城の入り口にかけられたこの橋は、築城当時にはなかったものです。

 

もともとはこの20mほど東側に、下馬橋という橋がかけられていましたが、この旧橋は狭くて急だったので、天皇の行幸にあわせて、御馬車が通れるように新しくこの行幸橋をかけたのですね。

 

行幸橋

明治三十五年(一九〇二)、明治天皇が熊本に二度目の行幸をされた。当時、下馬橋から城内に入る南坂は傾斜が急で、曲折も多かったので陸軍は、この坂を改修して傾斜をゆるやかにし、末端の坪井川に、新橋をかけて天皇の御馬車が通れるようにした。このとき旧来の下馬橋は撤去され、新しい橋が新下馬橋と呼ばれたが間もなく天皇の行幸を記念して、この端を行幸橋、新坂を行幸坂と名付けた。行幸橋から眺めた花見時の景色は、古くから熊本の人々に親しまれている。

(熊本市、案内板から引用)

 

 

もう下馬橋は跡形もなくなった・・・と思いきや、実は一部、橋の名残が当時のまま残されています。

 

 

下馬橋跡

下馬橋は、花畑邸前から坪井川を渡って本丸に通じる橋である。城内に入るとき、ここから先は馬を降りることになっていたため、この名がついている。明治35年、行幸橋、行幸坂が新設されたときこの橋は撤去された。

 

 

行幸橋を渡って、行幸坂のほうに行こうとすると、このように車両通行止めとなっています。(お花見の時期に歩行者のみ通行が許可されたことがあります。)そのため、加藤神社に行こうと思ったら、熊本城の東側をぐるっと迂回して、京町側から入るしかありません。

 

 

城彩苑の入り口に、竹細工の「復興」の文字が刻まれたオブジェがありました。

 

これは山都町の神社で毎年恒例で行われている「みたけ竹灯り」のイベントで制作されたもので、今年のテーマは「復興」ということから熊本のシンボルである熊本城が描かれたということです。約20名で1ヶ月かけて作り上げた作品だということです。今年の5月末まではライトアップも行われていました。

 

 

城彩苑の入り口広場。

 

 

明治時代には熊本城は、熊本鎮台という陸軍施設として使われました。

 

桜の馬場城彩苑のあたりは、兵器庫として使われていたようです。城彩苑の駐車場の近くに、「近代のレンガ造りの建物跡」として、陸軍施設時代の基礎の一部が展示されていますので、探してみてくださいね。

 

近代のレンガ造りの建物跡

ここには、平成20~21年度に行われた発掘調査で発見されたレンガ造り建物の基礎の一部を展示しています。

旧日本陸軍時代の建物で、規模は幅約14m・長さ80~90mと長大で、基礎も頑丈に作られています。そうした建物が4棟並んでおり、主に、兵器等を格納しておくための施設でした。熊本城には400年の歴史があり、もちろん、その本質的な価値は江戸時代の城郭にあります。しかし、その後の明治以降の近代において、約80年にわたり軍用地として使用されたということも重要な歴史事実です。このレンガ造り建物は、熊本城の近代を物語ることのできる、数少ない歴史遺産なのです。

(平成23年3月熊本市/案内板から引用)

 

 

城彩苑には、飲食店やお土産屋、歴史体験施設などが多数ありますので、行くところに困ったらここに来ると、熊本の食を堪能できると思います。

 

 

城彩苑から、二の丸公園および二の丸広場へ通じる階段があります。二の丸公園からも熊本城をながめることができますよ。

 

 

なお、観光客に人気の城彩苑ですが、慢性的な駐車場不足が集客の足をひっぱっていると言われています。

 

そのため、城彩苑の西側に隣接する合同庁舎跡を駐車場として整備する計画があるそうですが、遅々として進んでおりません。業を煮やした熊本商工会議所等から「熊本合同庁舎移転後の跡地利用を契機とした桜の馬場地区整備事業の促進について 」なる要望書も当時の幸山市長に提出されたとか・・・。要は駐車場が足らないから急いで整備しないと観光客をよそに取られてしまうよ!という内容なのですが・・・。

 

 

取材におとずれた2017年7月時点ではまだ合同庁舎の解体工事をしていましたので、もう少しこの状況は続きそうですね。それにしても、震災の影響があってもなお、駐車場が足らないほどの来客があるというのは素晴らしいことだと思います。