横井小楠記念館、四時軒(しじけん)、小楠公園

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幕末~明治初期にかけての肥後藩の思想家・政治家、横井小楠(よこいしょうなん)。

 

歴史ドラマなどで名前が出ることのない人物ですが、明治政府では参与として指南役をつとめており、岩倉具視(いわくらともみ)は、参与のなかでも小楠を特に頼りにしていたそうです。また、その先進的な思想は、当時の英傑へと与えた思想的影響は大きなもので、坂本龍馬、勝海舟、吉田松陰らも彼を尊敬していたといいいます。熊本市東区沼山津(ぬやまづ)には、横井小楠旧居である四時軒(しじけん)をはじめ、横井小楠記念館、遺髪を収めた小楠公園などが立地しております。

 

「おれは、今まで天下で恐ろしいものを二人みた。それは横井小楠と西郷南州だ。」(勝海舟「氷川清話」より)

 

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熊本地震の爪痕は、ここにも色濃くでておりまして…。いや、横井小楠がらみのものに限らず、熊本市の史跡の多くが同じ状況にあるのですが、現段階では見ることができるものが、ほとんどない状態です。

 

まずは、横井小楠旧居、四時軒を見てみましょう。ここは、坂本龍馬が横井小楠に会うために、三度訪れたと言われています。

 

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倒壊しております。四時軒とは、四季の眺めを楽しむところから名付けられており、当時としては珍しいギヤマン障子(=ガラスのはめこまれた障子)が使われていたりして、冬でも障子を開けることなく外の眺めを楽しむことができたりしたようですが…。

 

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斜めに傾いた建屋。奥に見えるのは横井小楠記念館となりますが、こちらも閉館中の札がかかっていました。記念館のほうは、建物自体は問題ないように見えますが…。

 

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四時軒は、秋津川のほとりにありますが、秋津川沿いには重しが延々と置かれており、川沿いの道路の、地震による崩壊を防いでいるのかと思われます。これのせいで道路も少し狭くなってしまってます。

 

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小楠公園も四時軒の近くになりますが、これも似たような状況であり、倒壊した設備にはビニールがかけられていて、横井小楠の銅像も見ることはできません。

 

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小楠公園は、純粋に子どもたちが遊ぶための公園としては使えるようにしてありますが、現段階では史跡としての小楠公園の姿を見ることができません。工事業者さんが入っておられたので、時期がたてばまた小楠先生の銅像も見ることができるのではないかと思っております。そのときには、またここでご紹介できればいいと思います。

足手荒神(あしてこうじん)・甲斐神社

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奉納された手形・足形。本殿が被災したため、テントで拝殿が作られています。

 

足手荒神は熊本を中心として、福岡、大分などで信仰されている、手足の神様のことです。手足の病気や怪我の治癒・回復を祈願するもので、神様に手形・足形などを奉納します。

 

特にこちらの甲斐神社は、足手荒神信仰の総本山と言われているもので、九州各地に分社が存在しています。

 

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甲斐神社の祭神は、甲斐宗立(かいそうりゅう)公と、その父、甲斐早雲(かいそううん)公をはじめとした甲斐一族となります。そのなかでも足手荒神とされているのが、甲斐宗立公です。肥後国人一揆で破れた御船城主であった彼は、この嘉島町上六嘉に落ち延び、里人より手厚い手足の治療を受けたとのことです。これにいたく感銘をうけた甲斐宗立公は、その後、以下の言葉を残して亡くなったとされています。

 

魂魄この世に留まり子々孫々を見守り、手足に苦しむ者を救いやるであろう

 

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手形足形授与所

 

 

こちらに筆記具が用意されていますので、授与された手形・足形に住所、氏名、年齢、願い事を書き、手形・足形で手足をさすり、拝殿に納めることとなります。

 

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実際に拝殿に積み上げられた手形・足形。崩れんばかりに積み上がっています。それだけ、手足の病に悩み、甲斐神社の御利益を受けたいという人が多いということなのだろうと思います。

 

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板状のものだけでなく、このように立体的な彫刻を施された手足もありましたが、これは奉納されるものではないようですね。

 

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この甲斐神社も、熊本地震により被災したため、寄付を募って再建を目指しているとのことです。崩壊した拝殿の写真がとても痛ましいです。

 

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甲斐神社の由来。ことのはじまり、甲斐宗立が手足を怪我をする原因となった、肥後国衆一揆のことを丁寧に解説されています。豊臣秀吉による九州征伐後、肥後藩主となった佐々成政が、着任早々に太閤検地をはじめたことが、国衆(国人)の反乱を招いたとされていますね。その当時の肥後藩は国衆の力がとても強く、難治の国とされていました。秀吉はそのことを知っていたので、成政には「三年は検地はするな」と言っていたそうですが…。

 

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手水場

 

スポーツ選手なども訪れるそうですよ。手足に不安を抱える方は、手形足形を奉納されてみてはいかがでしょうか。

 

嘉島町湧水公園天然プール

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まったく冬場にする話題ではないですが…。先週の浮島神社を取材したときに、その近くにある嘉島湧水プールも訪れましたので、ご紹介します。

 

ここはですね、なんと!湧水地を仕切って、天然のプールにしてしまった…という、全国的に見ても珍しいものです。かつて学校にプールがなかった時代には、ここで水泳の大会なども行われました。ここで練習して、オリンピック銅メダル選手(田中聡子選手)も産んだといわれています。

 

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湧水地を木材で区切っただけのプールですから、魚もふつうに泳いでいますし、水温は年間をとおして18度くらいだそうで、夏場でもちょっと冷たいですね。当然のことながら、冬なので誰もはいっている人はおりませんでした。お子さんがいらっしゃる方は、こういう自然のプールで子どもを遊ばせると、きっと喜ぶと思いますよ!

 

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底には砂利が敷き詰めてあり、きちんとライン引きされている25mプールです。利用料金は無料ですが、夏場は駐車場利用料だけが500円取られるということです。営業時間は10時~18時。

 

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プール手前は別に区切ってあり、地元の方が生活用水として使うために立ち入り禁止になっています。

 

こちらの湧水は、「浮島・六嘉湧水群」として、平成の名水百選にも指定されています。先週紹介した、浮島神社の「神の池」も、このくくりですね。

 

 

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オフシーズンのため見あたりませんでしたが、貸し出し浮き輪・軽食・トイレ・更衣室もあるそうです。熊本震災直後の昨夏は、どこのプールも使用不可になっておりましたので、この天然プールの存在は貴重だったのではないかと思いますよ。ぜひ訪れてみてくださいね!

浮島熊野坐神社(水郷・浮島さん)

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新年あけましておめでとうございます。今年も加来タクシーをよろしくお引き立ていただきますよう、よろしくお願いします。

 

新年1回目は、初詣の時期ですし、風光明媚な浮島神社のご紹介をいたします。特長である神社を取り囲む「神の池」は、川から流れ込んだ水でできているのではなく、湧水として自然に沸き上がったものになります。名水百選や、水の郷百選にも選ばれており、湧水量15万トン(/日)、池面積6,000坪の広大な池で、これだけでも見応えがありますよ!水もとても澄んでいて、魚も見えるほど。

 

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正式名称は「浮島熊野座(うきしまくまのます)神社」といいますが、なぜ「浮島さん」というのか?

 

それは、この写真を見ていただければ一目瞭然かと思います!周囲を湖で囲まれており、まるで湖面に浮かんでいるような姿から名付けられたんですね。ホームページも通称の「浮島神社」表記になっています。

 

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今年も無事故で、商売繁盛になりますように。

 

主祭神は「イザナギの尊・イザナミの尊」の夫婦神。創建が長保3年(西暦1001年)といいますから、なんと1000年以上の歴史を持ちます。また、こちらの宮司さんは自転車歴20年というほどの自転車好きのため、自転車のお守りなどがあることでも知られています。(ホームページでは、人気自転車漫画「弱虫ペダル」のサイン色紙の画像も掲載されています。)自転車乗りの聖地と言う人もいますね。

 

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敷地も広大で、湖もきれいで、心もとても落ち着く場所です。マイナスイオンが満ちているのでしょうか、疲れているときなどに来ると、不思議ととても心が安まって、よろしいかもしれませんね。湖を見渡せる場所には、ベンチも用意してあります。

 

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水面には、水鳥もたくさん。

 

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毎年1月7日の七草がゆの日には、おかゆの振る舞いが行われているのですが、今年は臨時駐車場の確保が難しいことなどから(震災の瓦礫置き場になっているとのこと)、中止がアナウンスされております。まだまだ、熊本は地震の爪痕が残されているようです。地震に負けないよう、加来タクシーほか、われわれ地元の業者が頑張って地元を盛り上げていきますので、みなさん応援よろしくお願いいたします。

ゴッホひまわり園

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熊本地震で被災したサントリーのビール工場が、ようやく再開したという話がありましたね!忘年会シーズンになんとか間にあったようで、よかったです。じつは先月、嘉島町に伺ったときには、まだ工場は閉鎖されており、見学もできなかったんですよね…。まだ工場見学はできないようですけど、そのうち再開されることを期待しましょう。

 

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さて、嘉島町にはゴッホひまわり園というのがありまして、それはそれは見事なひまわりが咲くのですが、これが一風変わっていまして、なんと秋に咲くというのです。訪れたときには、まだ11月上旬でしたけれど、満開に咲き誇っています!

 

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嘉島町鯰に住む自営業、中島憲行さんが21年前から育てはじめたということです。この日は天気もよかったので、観光客がちらほらと訪れておりました。特に入園料などは取られておらず、自由に観覧することができます。

 

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かつては6万本ということだったのですが、熊本地震の影響もあってか、今年は4万本ということでした。それでも見事なこととその美しさはかわらず、訪れた人の目を楽しませてくれました。

 

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今年は咲き始めたのが10月26日頃だとのことでした。嘉島町は地震の被害も大きかったところになりますが、このような花畑の存在は大きな癒しになると思います。続けてくださっている中島さんには感謝しなければなりません。

 

 

今年は加来タクシーのホームページをご覧いただきまして、ありがとうございました。1週間に1本程度ずつですが、これからも熊本の面白いところ、見逃されがちなところを紹介していきたいと思っております。今後ともよろしくお願い致します。

第11代横綱・不知火光右衛門の墓

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熊本には、相撲にまつわる偉人や名家が多いことをご存じですか?横綱免許の権威として800年の歴史を持つ吉田司家(よしだつかさけ)も熊本ですし、横綱を2人も排出しています。今回は、その横綱のひとり、第11代横綱、不知火光右衛門(しらぬいこうえもん)の墓をご紹介します。

 

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これが不知火光右衛門の墓です。大津町下町、熊本空港のすぐ北にあります。不知火光右衛門は横綱になっただけでなく、横綱土俵入りの型「不知火型(しらぬいがた)」を作り上げました。相撲を知らない方でも、名前だけは聞いたことがあるのではないでしょうか。横綱・白鵬もこの不知火型でしたね。両手を広げてせりあがる様が、体格の良い力士がすると、とても優雅ですね。

 

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説明書き。本名が原野峰松(はらのみねまつ)といい、不知火諾右衞門(第8代横綱)の弟子となりました。そう、お師匠様も横綱なんですよね。1863年11月に、じつに39歳にして吉田司家から横綱免許を受けました。いまの大相撲では30歳くらいには引退してしまうことが多いと思いますので、かなりの晩成型の力士だったようです。

 

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身長177cm、体重120Kgということですから、力士のなかでもかなり小柄なほうだったようです。また、かなり容姿端麗だったということで、錦絵は当時、飛ぶように売れたとのことです。

 

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ブログではマイナーなスポットばかりご紹介しておりますが…。

 

もちろん、加来タクシーでは、お客様のご希望を伺い、まずは有名な、外せない観光スポットを巡らせていただいております。その上で、お客様が興味がありそうだなと思ったら、このような「誰にでもは薦めないけど、好きな人にはたまらない」というスポットにも、お連れしております。幅広い地元知識で臨機応変に対応させていただきますので、ぜひ観光の際にはご用命くださいませ。

上弓削神社(弓削法王社)

 

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先週、弓削神社の話をいたしましたが、実は弓削神社と名のつく神社はこの地に2つあり、白川をはさんだ近くに、もう1つあります。この2つを総称して、弓削神社とすることもあります。今回はこちらの、「もう1つの弓削神社」をご紹介します。

 

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先週紹介したほうは女神でして、対岸にあるこちらの小さいほうが、男神となります。男神が白川の飛び石をつたって、女神のもとへと逢瀬を楽しんだとか、そういういわれがあるようです。弓削神社は福岡県久留米市や大阪府八尾市にもありますが、それらも同様に、「川をはさんで、男神と女神と位置づけられる神社が鎮座する」形式となっているようです。

 

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女神にくらべて全体的に小ぶりな施設となっております。こちらも男性器のモニュメントがあちこちに奉納されています。

 

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こちらの男神としての弓削神社は、上弓削神社とか、弓削法王社という言い方をすることもあります。

 

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性器奉納の由来。この看板に「法皇神社」という言葉がでてきますが、これは女神のほうの(先週紹介したほうの)弓削神社のことで、以前そうよばれていた時期があることから、「ホウオウさん」という言い方で親しまれているそうです。

 

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林に囲まれていて、駐車スペースもあまりなく、目立つ看板書きもないことから、ここに神社があることを知らない人もいるのではないかと思います。多くの人は弓削神社が1つだけだと思っているんじゃないかとも思います。

 

このような見落とされがちなスポットも、興味がありそうだとみれば、ご案内できますから、観光タクシーをご利用のさいには、どのようなことに興味をお持ちなのかドライバーにぜひお伝えください。時間に余裕があるときは、お客様にあった、小さいスポットを追加でどんどんルートにいれていきますよ!

弓削神社/生殖器信仰

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男根崇拝などの生殖器崇拝の神社が、実は熊本にもございまして…。その名を弓削神社といいます。祭神は孝謙天皇(こうけんてんのう、のちの、称徳天皇)で、五穀豊穣、家族円満、子宝、そして浮気防止にご利益があるとされています。

 

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女帝である孝謙天皇は、道鏡(どうきょう)法師と言う僧を寵愛し、ともに政治をとりおこなっていたといいます。道鏡法師は孝謙天皇が病に臥せっていたとき、祈祷を行ってこれを治したので天皇に気に入られ、以後、政権の中枢に食い込んでいきます。ついには天皇になろうと画策して、失敗に終わっています。道鏡法師のことを、日本のラスプーチンという言い方をする人もいますね。

 

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手水舎からして、男根だらけなので、特に女性のかたが知らずに来ると、かなり面食らうと思います。

 

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これはまた大きい男根があります。子宝繁栄にご利益がありそうですね。

 

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男性器、女性器に似せた木に願いを書いたものが、おびただしい数、奉納されています。棒状のものが男性器、板状のものが女性器を意味しています。

 

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正直なところ、はじめて見たときには、生きた人の持つ執念、怨念のようなものに威圧されてしまいました。性器に釘が打ってあるのは、浮気防止のためということです。「呪」と書いてあるものもありますし…。あと、個人名を書いて、「○○○○と××××は別れろ!」というようなものも。

 

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孝謙天皇は譲位し、一度は上皇となりますが、藤原仲麻呂の乱により淳仁天皇が廃位に追いやられたため、称徳天皇(しょうとくてんのう)として二度目の即位を果たします。この称徳天皇を後ろ盾に、道鏡は権力をふるいましたが、称徳天皇崩御によって権力を失い、熊本の弓削に落ち延びてきました。

 

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淫蕩で知られた道鏡も、この地で、天皇の侍女であったお藤の方に惚れ込み、深く愛されたため、夫婦円満の象徴とされたようですね。お藤の方がこの地では神聖視されていたため、「藤」の字を名につけることが禁じられているようです。いわゆる避諱(きひ)、日本には古来から目上のかたの諱(いみな)、すなわち本名を用いることを避ける風習がありますので。

 

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男根には、このようなかわいいものも…。

 

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腰痛にご利益があるとされるミニ鳥居も。ちょっと、わたくしの体形では狭くてくぐれる気がしないのですが…。

 

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弓削神社はじつはこの地に2つありまして、白川をはさんで対岸に、もう1つの弓削神社があります。この由来も含めて、翌週に語らせていただきたいと思います。

武蔵塚公園災害復旧工事

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宮本武蔵の墓といわれるものは全国に複数存在していますが、もっとも有名なものがこの武蔵塚公園となります。先週ご紹介した西の武蔵塚に対して、こちらを東の武蔵塚という言い方をすることもあります。

 

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この武蔵塚公園は、県道337号線沿い(大津街道、旧国道57号線)にありまして、宮本武蔵が遺言でこの立地を希望したということです。

 

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『我、君公二代に仕へその恩遇を被(かうむ)ること頗(すこぶ)る深し。

死せむ後も、大守(たいしゅ)参勤の上下を拝せむとおもふ。

願わくばその往還の目立つ処に葬れよ』

 

深くお世話になった細川藩の参勤交代を死後も見守りたいから、それがよく見える場所に葬ってほしいということですね。その遺言通り、参勤交代で通る大津街道沿いに、この武蔵塚公園が作られました。

 

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そして、やはりここも熊本地震で被災してしまっています。武蔵塚公園災害復旧工事は来年1月16日までとなっていますが、震災前の状態になりそうなんでしょうか…。心配です。

 

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筆舌につくしがたい惨状でした。復旧工事のため、業者さんが公園内に車を乗り入れて、なにか作業をされておりました。

 

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あちこちに規制が敷かれていました。熊本市の史跡はどこもこんな状況です・・・。

 

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小高い丘になっていますので、南側の長嶺方面がよく見渡せます。旧熊本空港(健軍空港)があった頃は、ここから飛行機の発着するのがよく見えたといいます。

 

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残念ながら復旧中で、崩れているものも多いですが、難をのがれたものもたくさんありますし、公園としても緑豊かで落ち着いた環境が素晴らしいですから、ぜひ訪れていただきたいと思います。

 

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一、 世々の道をそむく事なし
一、 身にたのしミをたくます
一、 よろすに依枯の心なし
一、 身をあさく思世をふかく思ふ
一、 一生の間よくしん思わす
一、 我事におゐて後悔をせす
一、 善惡に他をねたむ心なし
一、 いつれの道にもわかれをかなします
一、 自他共にうらミかこつ心なし
一、 れんほの道思ひよるこヽろなし
一、 物毎にすきこのむ事なし
一、 私宅におゐてのそむ心なし
一、 身ひとつに美食をこのます
一、 末々代物なる古き道具を所持せす
一、 わか身にいたり物いミする事なし
一、 兵具ハ格別よの道具たしなます
一、 道におゐてハ死をいとわず思ふ
一、 老身に財寳所領もちゆる心なし
一、 佛神ハ貴し佛神をたのます
一、 身を捨ても名利はすてす
一、 常に兵法の道をはなれす

 

ちょうどお昼頃に訪れるなら、武蔵塚公園すぐ近くの「武蔵うどん」にお連れしますよ!

 

 

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兜岩/熊本県大津町・瀬田堰(下井手堰)

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阿蘇大明神が蹴飛ばしたとされるのが、この兜岩(かぶといわ)。場所は大津町の瀬田神社の近くにあります。加藤清正公は熊本の数々の治水事業をすすめましたが、なんともとからある巨岩を生かした堰を作り上げたんですね。

 

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下井手取入堰。加藤清正公時代からのものが、現代風の改良を加えて、使い続けられているんですね。

 

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清正公の治水事業がらみで、もう1箇所ご紹介いたしましょう。場所が一気にかわりますが…。熊本市中央区大江の、土手から見た白川の写真です。岩のようなものが川に張り出しているのがわかりますでしょうか。

 

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これは「石刎(いしばね)」といって、川の勢いを削ぐための仕掛けなんですね。

 

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航空写真で見ると一目瞭然ですが、白川にはこのような石刎がまだ多く残されています。撮影場所からは渡鹿堰(とろくぜき)も近いですね。鼻ぐり井出など、清正公の治水事業が行われたところを巡っていくのも面白いのではないかと思います。

 

熊本の水には詳しく、くまもと「水」検定1級、熊本水守の資格を持っているほどですので、こういう治水事業にまつわるところを巡るのであれば、加来タクシーにお任せください!誰よりもていねいにご説明してさしあげられますよ。