馬上の美少年/束野孝之丞戦歿碑(萩迫柿木台場)

 

雨は降る降る じんばは濡れる 越すに越されぬ 田原坂
右手に血刀左手に手綱 馬上ゆたかな美少年

 

荻迫(おぎさこ)薩軍台場跡には、『田原坂甚句』に歌われる「美少年」のモデルとされる、薩軍少年兵「束野 孝之丞」(つかの たかのじょう)の墓碑があります。わずか15歳で西南戦争に参加し、この地で若い命を散らしました。(鹿児島の遺族会名簿には「束野」ではなく「塚野」とあるそうです。)

 

馬上の美少年が誰であるか?はさまざまな議論がありますが、現在では、当時西南戦争に参加した少年兵を総称したというのが定説になっているようです。

 

 

萩迫柿木台場のあたりは、特に戦闘が激烈を極めたということです。「台場」(だいば)とは、砲台や野戦築城(基地)のことを指します。墓碑の近くに台場が存在していたということです。

 

 

植木町老人クラブ連合の設置した案内板です。この墓地が作られた経緯が記されています。田原坂を突破された薩軍は、荻迫で官軍の進軍を食い止めようとしました。

 

 

昭和7年、陸軍大臣であった荒木貞夫が感銘を受け、慰霊碑を贈りました。碑の側面には「西南ノ役、僅カ十五歳ニシテ薩軍ニ投ジ、奮戦、此地ニ没ス、時ニ明治十年二月廿八日、義軍遂ニ敗レシモ、君ガ英霊、永ク此ニ眠ラン」と記されています。少年兵らしく、小ぶりな墓碑となっていますが、いまでも献花が絶えることはありません。

 

 

薩軍戦没者慰霊碑。周囲にビニールハウスが見えることからもわかると思いますが、この辺は植木町の農家のみなさんの農地となっています。訪れるときの注意事項ですが、この辺には駐車場がございません。路上駐車などしますと、近隣の農家の皆様のご迷惑になりますので、なるべく公共交通機関で訪れるようお願いいたします。(加来タクシーをご指名いただければ、ていねいな解説付きでご案内いたしますよ。)