NHK大河ドラマ「いだてん」のロケ地にも使われた、金栗四三(かなくり・しそう)生家が、今年1月よりオープンしております。取材日は平日にもかかわらず、ひっきりなしに来場者が訪れてきて、大河ドラマの影響力のすさまじさを体感したものでした。
屋根はトタンで覆われていますが、もともとは立派な茅葺き屋根でした。
金栗四三は、日本マラソンの父と呼ばれ、いまや正月の風物詩となった箱根駅伝の創設者であり、オリンピックに初めて参加した日本人のひとりです。高地トレーニングを日本に持ち込むなど、日本マラソン界の振興に大きく貢献しました。
KKウイング(熊本県民総合運動公園陸上競技場、現在は「えがお健康スタジアム」)も、金栗四三の名前から取ったものなんですよ!
金栗四三に与えられた「学校部屋」。いわゆる勉強部屋のことですが、2畳ほどとはいえ、この時代に子どもが個室を持つことなど希なことでした。
四三が高等小学校を卒業するまでの8年間、ここで勉学にはげみました。
金栗家は代々庄屋をつとめる名家で、9代の又作が造り酒屋を創業し、金栗家はますます栄えたといいます。しかし、四三の父、信彦は胃病を患っており、病弱ゆえに造り酒屋を続けることができず、廃業しています。
そのため、かつての繁栄を失い、生活は貧しくなりましたが、長男の実次が村役場に勤めるかたわら畑仕事にも精をだし、家計を支えました。また、病弱な信彦にかわり、実次は四三の親代わりともなりました。
四三のマラソンの基礎を作り上げたとされる「かけあし登校」が、この生家からはじまっています。
実は四三は5歳頃まではひ弱な子どもでしたが、玉名北高等小学校への進学をきっかけに、自宅から学校にかけて片道6kmの道のりを、近所の生徒たちと毎日走っていたそうです。2段呼吸法などのマラソンの基礎も、このかけあし登校で実体験から編み出した方法だということです。
四三が暮らしたこの生家は、いまから200年前に建てられたと言われています。四三はこの家で生まれ、約14年間をここで過ごしました。
この生家のほか、金栗四三関連施設としては、今回ご紹介しているこの「金栗四三生家」のほか、「いだてん大河ドラマ館」「金栗四三の墓」「金栗四三の住家」などがあります。ドラマ「いだてん」を見ている人や、マラソンランナーの人は特に、金栗四三の功績にぜひ触れてみませんか?