万田坑跡・万田坑ステーション その3

 

第一竪坑坑口。採掘された石炭を地上に引き揚げるのと、排水の役割を果たしていた坑口でした。この大きなコンクリートは、当時の第一竪坑櫓の基礎部分で、ここに第二竪坑櫓の倍の幅がある第一竪坑櫓が設置されていました。(昭和29年に解体され、北海道の三井芦別鉱業所の櫓に転用。)

 

閉口後も坑口は金網で覆われているのみで、現在も地下271mの地下まで、竪坑の穴が空いています。地下80m程度の所まで地下水が上がっているため、寒い時期には湯気が見えることがあるそうです。

 

 

昭和初期に建設された、職場という坑内で用いる機械類の修理や、工具の製作を行っていた場所です。

 

 

木造平屋瓦葺(建築面積約162㎡)で、旋盤やドリル盤はベルトを付け替えることで、モーター1台で運用できるようになっていたそう。

 

 

作業台に置かれていた、タイガー手動式計算器。昭和40年頃に定価3万5千円で販売されていましたが、この時代の公務員初任給が21,600円でしたので、いかに高価なものであったかが分かると思います。

 

 

作業台に並ぶ多くの工具も見ることができます。室内にちらばっていた工具類は、名称や用途の調査を行い、できるだけ元の位置に戻すことで、当時の作業状態を再現しているとのことです。

 

平成9年の閉山後は、台風などの影響で屋根が崩れ落ち、建物の軸組が著しく破損していたため、平成21年11月から平成23年10月まで、保存整備工事が行われました。

 

 

万田坑敷地内には、このように至るところに炭鉱鉄道の名残を見ることができます。

 

炭鉱鉄道の本線は、万田坑から大牟田の各坑口を結ぶように、U字形に走っています。そこから枝線が分かれ、炭鉱と主要工場、駅、三池港を結び、鉄道網は最盛期には総延長150kmにも及んだそうです。

 

 

万田発電所跡。大正時代の建設当時は、英国トムソン社製タービン排気発電機(800kw)が設置され、「万田発電所(排気発電所)」として利用されました。

 

電化が進むにつれ、配電所(変電所)として七浦坑への配電も行っていました。

 

 

万田坑ステーションにある全体模型には、現存しないものがいくつかあることに気づきます。前述したとおり、第一竪坑櫓(写真左側の大きいほうの櫓)は解体されたのでありませんし、この4本の煙突、そして煙突に繋がる2つの建物も存在していません。(煙突の土台だけは残っています。)

 

これは発電方法が蒸気から電気に移り変わったためで、蒸気を発生させるボイラー施設(汽罐場)が必要なくなったということです。なお、汽罐場で用いられる燃料には、三池炭鉱産出の石炭だけでなく、筑豊産や北海道産の石炭も使用されました。これは、三池炭が粘結炭であるため、燃やすと罐の中に絡みついて頻繁に掃除をする必要があったので、三池炭以外の炭とのブレンドを行ったとのことです。

 

今回はここまで、次回その4まで万田坑編が続きますが、お付き合いいただければと思います。