今回は立田自然公園を訪問しました。こちらには、肥後藩主・細川家菩提寺であった、「泰勝寺」(たいしょうじ)跡地、細川家の墓地である四つ御廟(よつごびょう)、茶室・仰松軒(こうしょうけん)などがあります。
観光ガイドは入園料は要らないのですけど、同行するカメラマンさんの分を支払うべく、チケット販売所に立ち寄りましたが、誰もいらっしゃらない。そうこうしていると、小学生の集団が、入園料も払わずにどんどん自然公園にはいっているではありませんか。戸惑っていると係員が来て、「いまはいろんな施設が被災しており、見れるところも少ないので、入園無料で開放しております。」とのこと。
このように、見学範囲制限が設けられておりました。仰松軒や宮本武蔵墓所などを見ることができなくなっていますが、四つ御廟や、みごとな庭園を見ることはできるようになっています。
入場門をくぐって、すぐに右手に池が見えてきますが、そこも外周にまわる通路が封鎖されていました。しかし、外からでも池を見ることはできるようになっています。
石畳をあるいていきます。この先に、細川ガラシャなどの墓である、四つ御廟があります。
ふと横に目をやると、門の瓦が落ちたのでしょう、熊本でよく屋根にかかっているビニールシートが被されていました。立ち入り禁止区間より先は、きっともっと酷いことになっているのだろうと思われます。
ふと後ろをふりかえってみました。背の高い立木がそびえたつ、豊かな自然に囲まれた庭園を見るだけでも、ここに見にくる価値は大きいと思います。
苔園(こけえん)。見事に苔が表土を覆っており、緑の自然のカーペットとなっています。
四つの廟、と書かれた、四つ御廟について書かれた石碑。細川藤孝夫妻と、2代目細川忠興とその妻玉子(明智珠子、またの名を細川ガラシャ)がこの廟に祀られています。
同じ高さの、同じ造りの平屋が、平等に同じ高さで4つ、横並びになっているのが、この四つ御廟の最大の特徴となっています。男女や立場の区別なく、平等に祀られていることが、この時代ではとても珍しいことだったのではないか、と思われます。
細川忠興の妻、玉子は、洗礼を受けているため、洗礼名として「ガラシャ」の名があります。そのため、後世では「細川ガラシャ」と呼ばれるようになりました。なお、細川ガラシャは明智光秀の三女であったために、本能寺の変のあとは、幽閉されていた時期もあります。
御廟の中は、このように五輪塔が安置されています。
初代細川藤孝の墓所。
宮本武蔵の墓もあるのですが、この先は行き止まりとなっていました。残念ですね。
見れる場所は限られるとはいえ、主だったところは見て回れることから、訪れて損をすることはありません。なお、駐車場は広く30台くらいは入る大きな駐車場があります。バスも止まれる大きさかと思いますけれど、この辺は道幅が狭いためにバスの通行は難しく、観光タクシーであれば、入口手前まで乗せていくことができますよ!立ち入り禁止区間がありますが、はいれないところに関しては観光ガイドであるわたくしが補足説明をさせていただきますので、十分歴史ロマンに浸ることができると思います。