押戸石の丘~大自然が生んだ、神秘的な巨石群

 

マゼノミステリーロードからはいることができる押戸石の丘。「鬼がこの岩で、夜な夜な、いしなご(=お手玉)をして遊んだ」という言い伝えがある場所です。

 

標高845mのこの丘の頂には巨石群が立ち並び、特別な感じのする場所です。巨石群は人工的なものではなく、自然に配置されたものと見られており、巨石のうち最大のものは高さ5.5m、周囲15.3mもあり、ペトログラフ(シュメール文字)が刻まれているものもあるとか。

 

 

環境保護費として200円を支払うと、方位磁針を貸してくれます。押戸石の丘の巨石群は磁気を帯びているので、方位磁針が反応するということらしいです。

 

驚くことに、こんな大自然の真ん中に、ちゃんとトイレも備えてあります。

 

 

マゼノ渓谷でも思いましたけれど、どうして平日の昼間からこんなに観光客が多いのか・・・?紅葉シーズンだったからなのでしょうか。なんにせよ賑わうのはいいことです。

 

 

ススキが生い茂り、人の手によって守られてきた黄金色の草原景観が目を楽しませてくれます。

 

 

遊歩道は木を砕いたチップのようなもので作られていましたので、踏み心地がやわらかいですね。丘を歩いてのぼっていきます。

 

 

遊歩道からは巨石群が見えています。もうすこし若ければ、まっすぐショートカットするんですけどね・・・。遊歩道を歩かせているのは、自然保護の意味合いがあるのかもしれませんので、おとなしく遊歩道を歩くことにします。

 

 

阿蘇山、久住連山が見渡せる、360度視界を何も遮るものがない大パノラマの雄大な景色は、ここでしか見ることができないものです。

 

阿蘇カルデラを作った巨大噴火による火砕流台地と、人の手で保たれてきた草原景観のコラボレーションを楽しむことができます。

 

 

はさみ石。夏至にはこの岩の間から太陽が昇り、冬至には太陽が沈むということです。

 

嘘つきが通ると挟まれるとの言い伝えがあるそうです。事務所に貼ってあった写真ではくまモンがはさまっていました。

 

 

丘の上の巨石群に方位磁針を近づけると、針があらぬ方向にグルグル回り始めます。これらの巨石群は磁鉄鉱を含む安山岩でできているため、強い磁性を持つからとのこと。また、高台にある岩石は落雷を受けやすく、それによって磁化していくものと見られています。

 

 

 

祭壇石。神事において祭壇として利用されたのではないかと見られています。

 

 

シュメール文字が刻まれているとされる鏡石。どれがそうなのかは、よくわかりませんでしたので、できれば写真つきの案内板などがあると分かりやすいかも・・・、と思います。

 

 

冬期はマゼノミステリーロードの通行ができなくなりますので、お気を付けくださいね。

 

マゼノ渓谷

 

紅葉の名所であるマゼノ渓谷。マゼノミステリーロードから入れるこの渓谷には、1年のうちほとんどの期間は立ち入ることができません。冬期に至ってはマゼノミステリーロード自体が通行止めになります。

 

一般公開が行われるのは、春と秋の2回。1年のうち、入れる期間がたった1ヶ月もない秘密の渓谷です。今年の一般公開はもう終わってしまいましたが、来年のためにこの記事を公開させていただきました。(今年秋の一般公開に間に合えばよかったのですが・・・)

 

 

駐車場で入場料200円を払い、落ち葉を踏みしめつつマゼノ滝を目指すことになります。足下がやわらかいので、アスファルト道路と違って膝への負担もなく、両手にストックを持って、運動目的で来られるかたもいらっしゃいます。

 

しかし、運動不足のためなかなか、つかれますね・・・

 

 

全国的には紅葉はこれから、という時期だったはずですが、マゼノ渓谷の紅葉は早かったらしく、多くの木々が落葉しきったあとで、見頃は過ぎてた模様。

 

 

分かれ道にきました。マゼノ滝を上から見るか、下から見るか・・・?

 

なんか、そういう映画のタイトルがあったような気がします・・・。とりあえず「マゼノ滝・上へ」のほうに進んでみます。

 

 

う~ん、なるほど・・・。

 

これはこれで面白いですが、上からでは滝の流れ落ちる様を見れないので、迫力がいまひとつ伝わりませんね。やはり下から見ることにしましょう。

 

 

滝の近くにもなってくると、ぬかるんでいる部分があったり、飛び石にコケがついて滑りやすくなっていたりします。

 

ですので、必ず運動靴着用で来てくださいね!滑りますから、間違ってもハイヒールや革靴で来ては駄目ですよ。

 

 

ここまで来れば、マゼノ滝までもうすぐ・・・!

 

マゼノ渓谷は一般開放のときにはいることができるほか、阿蘇ネイチャーランドの半日トレッキング体験でも、はいることができます(夏季限定)。

 

 

マゼノ滝の前で自撮りをする、仲睦まじいご夫婦。とても絵になりますね。

 

黒川温泉に来られるときに、ついでに立ち寄るとちょうどいい位置関係かなと思います。入場料200円かかりますので、そこだけご注意くださいね。

 

下城の大イチョウ

 

昭和9年に国指定天然記念物になった、樹齢1000年ともいわれる、下の城のイチョウ。

 

地元では「チコブサン」とも言われていて、乳の出が悪いご婦人が、この銀杏の幹から下がった乳瘤(ちちこぶ)を削り、煎じて飲むと、乳の出がよくなるといい伝えられています。

 

 

駐車場も備えておりまして、くまモン(?)などのゆるキャラがお出迎えしてくれます。

 

 

樹齢1000年だけあって、四方八方に枝が伸び、1本の木で森のような様相を呈しています。この銀杏は雌株で、根元の周囲は21m、幹回り10m、樹高25mにもなります。

 

10月下旬〜11月上旬に毎年ライトアップも行われていて、多くの観光客やカメラファンを惹きつけています。

 

 

大銀杏は周辺の道路よりも高くなっていますが、なぜかというと、ここが戦国時代末期の下城城主「下城上総介経賢」の墓所であり、銀杏の根元にある五輪の塔は、経賢の母・妙栄の墓だと言われています。

 

 

下城の大銀杏を見たあとは、歩いてすぐそばのところに、大迫力の下城滝(落差40m!)や、鍋釜滝もご覧になれますので、セットでぜひご覧いただければと思います。

 

福運を呼ぶ、けやき水源の水神様

 

けやき水源は、樹齢700~1000年といわれる大けやきの根元から湧水が湧き出し、平成23年くまもと景観賞の水と緑の景観賞に選ばれた水源地の1つ。

 

福運三社めぐりの1社でもあるので、多くの観光客が訪れるといいます。商店街からは、この看板を目印にはいっていきます。

 

 

商店街の脇道から、きれいに整備された石畳の道を歩いてすぐのところにあります。奥に大けやきがすでに見えていますね。

 

 

湧水地のほとりには、水神様が祀られていました。水神様の近くにはレトロな手押し式のポンプもあり、それで水をくみ上げることもできます。水面をよく見ると、池底から水が自噴しているのがわかりますよ。

 

福運三社の伝説としては、先週紹介した鏡ヶ池での、橋本順左衛門が一番くじを当てたエピソードが有名ですが、この話を聞いた城尾村市郎右衛門が、けやき水源の水神様や、小国両神社、鏡ヶ池の恵比寿様に一年以上も通い続け、富くじで一番くじを4回当てたというエピソードも残っています。

 

 

国指定天然記念物となっている、根回り9mほどもある大けやき。森林豊かな小国郷にはこういう大木が珍しくないというのも、すごいことです。

 

 

福運を呼ぶけやき水源の水神様

この宮原付近一帯は阿蘇溶岩の隙間から水が湧き、その湧水の中心がけやき水源です。この地に人が住み始めた縄文時代から今日まで、変わらず湧き続ける湧水に水の神がお祭りされました。阿蘇氏が小国郷を支配下に入れた頃、小国郷の守り神として両神社がお祭りされ、その門前には市がたち、小国郷の中心として栄えるようになりました。江戸時代になると町並みも整い商家も並び、その中頃から、この水神様も祭礼が行われ、朝に夕に生活の中心となりました。

江戸時代後期、小国郷でも両神社を舞台に富くじが始められました。近くの商家橋本順左衛門は毎朝、この水神様や両神社にお参りすることを日課としました。ある朝この井川に舟の入る夢を見た順左衛門は、吉兆と感じて富札を買い、見事に一番くじを当てました。その正夢の話を聞いた城尾村市郎右衛門は、一年以上もこの水神様や両神社、鏡ヶ池の恵比寿様に通い続け、見事に両神社と久住宮富くじに前後四回、一番くじを当てました。順左衛門や市郎右衛門は社会への恩返しとして、道を石畳にし橋を架け直しました。その一部は今も残っています。順左衛門は、その後の水源の夢を見て、網生や鹿児島の菱刈に金脈を探し、見事金を掘り当てました。

その頃から、この水神様は福運を呼ぶと信じられ、水源の夢から、戦地で命の助かった人、温泉を掘り当てた人、宝くじに当たった人など、福運の話が今日まで続いています。

(現地案内板より引用)

 

 

秋のお祭りで使われた風車がよい風情を醸していました。商店街の各所でこの風車を見ることができましたよ。

 

 

わたくしは福運三社巡りをして福銭をお預かりしたあと、マルサン酒屋さんで福運「千万両」という福運祈願のお酒をおみやげに買って帰りました。みなさんも、年末ジャンボ宝くじ当選の験担ぎに、小国郷の福運三社巡りをぜひなされてみてはいかがでしょうか。

 

鏡ヶ池伝説

 

小国町に、宝くじに御利益のある「福運3社」とよばれている場所があるのをご存じでしょうか。

 

1つは以前紹介した「小国両神社」。そして今回ご紹介いたします「鏡ヶ池」と、「けやき水源の水神様」となります。

 

 

この鏡ヶ池は、醍醐天皇の孫娘である小松女院と、清少納言の兄・清原正高との悲恋にまつわる伝説があり、12枚の銅鏡がここに沈められたことから、鏡ヶ池と言われるようになりました。

 

 

小松女院と清原正高の恋仲が帝の逆鱗に触れ、二人がそれぞれ遠くに引き離されたことから、悲劇がはじまりました。小松女院は因幡国(鳥取県)、清原正高は豊後国(大分県)に飛ばされてしまいました。

 

小松女院はついには正高に会うため豊後まで探しに出かけることを決意します。侍女11人を連れてはるばる九州を訪れ、小国の地にたどりつきます。そして、祠の下から湧き水が湧いている清らかな泉の近くの民家に宿をとったといいます。そこで、小松女院は正高との再会を祈って、この池に神仏への身代わりとして鏡を投げ入れました。侍女たちも次々と投げ入れたといいます。

 

しかし、いつしか正高に妻のあることを知ることとなり、三日月滝に侍女11人と共に滝に身を投じたということです。

 

 

 

砂の中に鏡が埋まっているということですが、見えるのは愛しい人との再会を願う、恋する女性が投げ入れるというコインばかり・・・。

 

なお、12枚すべての鏡が見えると災害が起きるともいわれています。

 

 

池のほとりで、恵比寿様が祀られていました。商家の橋本順左衛門は、こちらの恵比寿様に商売の報告をすることを日課にしていたそうですが、あるとき吉兆を感じたそうで、富くじを買ったところ、一番くじを当てたという伝説も残っています。

 

 

宝くじを当てたい人も、恋する乙女も、ぜひ訪れていただきたい小国町のスポットをご紹介させていただきました。

 

弊立神宮・東御手洗社~八大龍王の鎮まりし池

 

弊立神宮のご本殿裏の鳥居をくぐり、杉並木で囲まれた階段を下っていくと、水源地である東御手洗社(東水神宮)があります。

 

・中国の始皇帝が不老不死の霊薬をこの神水に求められた

・瓊々杵尊(ニニギノミコト)がこちらの神水で全国を浄めてまわった

 

・・・など、様々な伝説の残る水源地なのです。

 

 

車で近くまでつけることも可能ですが、できるなら、この本殿裏の鳥居から、森の階段を降りて欲しいです。

 

 

森に作られた階段を降りていくと、ほんとうに静かで、都会の喧噪などまるで無縁で、別世界に迷いこんだかのよう。

 

 

霊感がないと思える私でも、おおいに感じいるものがあります。緑に癒やされたいという方はここを散策するのをとても気に入ると思います。

 

 

仲良くなれる木といわれる、双子杉。周囲を見ていただくとわかりますが、ご神木とされていない杉でも、たいへんな幹の太さのものばかり。途方もない年月が感じられます。

 

 

森の階段を抜けると、八代龍王が鎮められているという水玉池がみえました。この聖域を侵すと、台風が起こるとされています。

 

 

水源地よりの竹筒から流れるご神水。左右で水の味が違いますので、飲み比べなされてみてくださいね。

 

 

北辰妙見大神が祀られる東御手洗社。湧き水が作り出す小川にかかる小さな石橋を渡っていきます。

 

 

水玉池のほとりにある、東御手洗の水をひいている悠紀田(ゆきでん)と呼ばれる神田(しんでん)。

 

もとは西御手洗にあった主基田(すきでん)を、東御手洗の地に移した時の田植えの祭りが、大嘗祭の基となっているとのこと。

 

 

ガイドつきでまわりたいというときは、ぜひ神社検定2級を持つ観光ガイドタクシー、加来タクシーにお任せいただければと思います。

 

弊立神社

 

山都町にあるパワースポット、弊立神宮を訪れました。

 

高天原神話発祥の神宮であり、1万5千年もの歴史があると言われていながら、世間に知られていない”隠れ宮”。この神宮の始祖である健磐龍命(たけいわたつのみこと)が、応神天皇の時代の「高天原の乱」に係っていた為に、自ら身を隠して「隠れ宮」となった、と言われています。

 

 

神武天皇の孫たる健磐龍命が、ここで幣を立て、宇宙から降臨された神々を祀ったことが始まりである、と伝わっています。弊立神宮という名前も、そこから由来しています。

 

 

鎮守の森自体が、町指定天然記念物(ふるさと熊本の樹木・昭和56年3月12日登録)となっています。

 

 

幣立神宮は「日の宮」とも言われています。これは、天照大神が住む宮殿という意味になります。こちらのご神木に「天照大神」の御霊がいらっしゃると言われています。神漏岐命・神漏美命が降臨されたご神木の檜は、現在の幹は10代目であるとのこと。

 

ただし、1991年9月27日の台風19号により幹が折れてしまい、上部が枯れてしまって、ありません。その上部は台風により本殿の上に落ちて、本殿を台風の被害から守ったとのことです。

 

 

ご神木の折れた上部は、天神木「高千穂」として、このように祀られていました。

 

 

訪問した日は水曜日で、平日でしたが、数多くの参拝客でにぎわっていました。隠れ宮ですから、一昔前であれば、地元民しか知られていなかったのでしょうが、いまはSNSなどもありますから、パワースポットとして知られるようになっているのかもしれません。

 

 

弊立神宮は山1つまるごと境内となっているような大きな神宮で、規模が大きいですので、来週につづきます。

 

清和文楽館~九州唯一の人形浄瑠璃

 

山都町・清和文楽館で定期的に催されている人形浄瑠璃は、九州でも唯一、山都町でしかご覧になれないもの。

 

九州各地のツアー客が、これを楽しむため山都町に集まり、連日賑わいを見せています。ですが、意外と熊本の人でも見たことがない、という人は多いのではないでしょうか。

 

 

清和文楽は、江戸末期に山都町(旧・清和村)を訪れた淡路の人形芝居の一座から、村人たちが人形を買い求め、技術を習ったのがはじまりとされています。

 

人形を買い求めたのは、地元で浄瑠璃名人として知られた君太夫という人物。君太夫とその仲間たちは、浄瑠璃と人形劇をあわせた人形浄瑠璃を作り上げ、豊作祈願の奉納芝居として定着していきました。

 

 

清和文楽は明治末期に一度衰退しますが、昭和29年には清和文楽保存会が発足、昭和35年には文楽人形の技術者たちが熊本県無形文化財に指定されました。

 

そして、昭和54年には清和文楽人形芝居が熊本県の重要無形文化財に指定されたのを機に、「栗と椎茸と文楽の里」をキャッチフレーズに、清和文楽を用いた村おこしが行われるようになりました。

 

 

平成4年には、清和文楽の専用劇場である「清和文楽館」が誕生。現在、毎年200回前後の公演を行っています。

 

 

定期公演は第2、第4日曜日(7〜11月は毎週日曜日)の、13:30からとなっています。30名以上の団体であれば、定期公演意外の日時でも公演の予約ができます。(詳しい条件につきましては、施設にご確認ください。)定期公演のない日でも、大型スクリーンで清和文楽を紹介した映画を見ることができます(約25分)

 

 

建物自体も見物でして、テコの原理を応用した騎馬戦組み手工法と言われるもので、日本古来の伝統建築技術の粋を集めて造られています。

 

このような劇場ができるまでは、畑や庭先に筵を敷いての野舞台なども行なわれていたようです。

 

 

資料棟では文楽に関する資料を多数展示しています。本物の人形の頭を自分で動かすことが出来る体験コーナー、コンピューターで人形の動きを再現したロボット人形などがあり、公演がない日も楽しめます。

 

 

秋の行楽シーズンに、150年の歴史を誇る清和文楽を、ぜひご覧になってみてはいかがでしょうか。

 

五老ヶ滝・五老ヶ滝吊り橋

 

通潤橋のすぐ裏手に、落差50mを誇る、山都町最大級の滝「五老ヶ滝」があります。復旧工事中のため通潤橋を近くで見れないいまだからこそ、迫力ある滝を見てみてはいかがでしょう。

 

普段はみなさん、通潤橋のほうだけ見て帰られると思いますからね・・・。

 

 

 

・・・しまった、わたしは高所恐怖症なのでした・・・。

 

吊り橋からの眺めも荘厳で素晴らしいのですが、吊り橋の見事さもぜひ体感していただきたいです。

 

 

駐車場から吊り橋までは、階段で結構下ります。足腰が鍛えられますね・・・。

 

 

阿蘇家が朝廷の使者をもてなすときは、この滝にご案内していたそうです。朝廷の勅使にご覧にいれた滝だったことから、「ご覧にいれた」が「ご覧(ろう)じた」変化して、「五老ヶ滝」と呼ばれるようになったのではないか、とのことです。

 

 

通潤橋へのルートは現在、閉鎖されていました。通潤橋は現在、地震影響調査と復旧工事のため、付近を立入禁止にしていますからね。

 

 

滝の下まで降りれるのですが、吊り橋まで降りるのでも結構な体力を使いましたので、吊り橋まで行って引き返しました。運動不足のかたには、うってつけかもしれませんよ。

 

下鶴眼鏡橋

 

熊本市中心部から山都町方面に用事があると必ず通ることになる、国道445号。熊本の道路事情もよくなりましたが、この道だけは曲がりくねったままで何十年も変わりませんね・・・。

 

さて、そんな国道445号を通る際、下鶴眼鏡橋という石橋がありますから、ぜひ注目して見ていただきたいです。名工・橋本勘五郎の作で、ちょっと面白い遊び心のある石橋なのです。場所的にはJNC(株)の七滝川第二発電所のあたりです。(※ちなみに、JNCはチッソの後継会社です。)

 

 

下鶴眼鏡橋は、緑川支流の八勢川(やせがわ)にかかり、有名な通潤橋や日本橋、万世橋など、数多くの石橋を手がけた石工である橋本勘五郎、弥熊父子が明治19年に完成させました。

 

 

橋長:24.90m、橋幅5.65m、橋高12.55m。総工費2538円31銭厘。

 

石積みが美しく、また擬宝珠の装飾を持つ豪華な欄干も持ち、手間も費用もかけてある印象です。

 

 

お酒好きの方が発注されたのでしょうか、とっくりの形に抜かれた、欄干の装飾が目を引きます。右に目をやれば、横倒しにした盃も見えますね。

 

 

明治の架橋でありながらも、改修しつつ現在まで使い続けられた橋ですので、道路面に埋め込まれたこのオブジェも、改修時の遊び心なのでしょうね。

 

 

通潤橋を見るために熊本市から山都町方面に行くならば、ここは必ず途中で通りますので、こちらもぜひあわせてご覧いただくのがオススメですよ!