新開大神宮

 

大神宮の名からわかるとおり、伊勢神宮を当地に勧請し、創建された神社です。

 

伊勢神宮の熱心な信仰者であった初代宮司の太田黒孫七郎が、天照大神の託宣を受け、1445年に創建されました。こちらを訪れるかたは、「神風連の変」で宇気比(うけい)が行われた神社だということを踏まえておられると、感慨深くお詣りできるのではないかと思います。

 

天照大神(あまてらすおおかみ)豊受大神(とようけのおおかみ)を、祭神として祀られています。

 

 

天正年間、佐々成政により社殿が焼かれましたが、慶長年間、加藤清正により再興されました。その後、細川家の治世となって手厚い保護を受けました。現在の本殿は明治十四年(1881年)の建築です。

 

なお、この立派なくすの木は、創建当初からあったのではないかと言われているものです。もっとも古い樹木で樹齢570年は経っているのではないかということです。これらは熊本市保存樹木に指定されています。

 

 

大田黒伴雄先生顕彰碑。新開大神宮の太田黒伊勢守に入婿し、神官となったかたで、神風連の変では首領を務めました。

 

神風連の変においては、最後は銃撃を受けて重傷を負い、法華坂で義弟の大野昇雄の介錯により42歳の若さでこの世を去りました。

 

 

新開大神宮のとなりには、「大田黒」という表札のかかった住宅がありましたが、大田黒伴雄を祖先に持つ、神職のかたのお住まいなのかなと思いました。

 

 

秋の大祭時に小学生による奉納相撲が行われる、すもう場。

 

 

拝殿は文久二年(1862年)の建築です。

 

昭和二十二(1947年)年に屋根替えを行い、平成十二年に窓枠など交換されたとのこと。

 

 

皇紀二千六百六十年(2000年)天皇誕生日を奉祝し新開大神宮に献納されたという、さざれ石。

 

 

神風連の変については、何度か記事にさせていただいておりますので、そちらもあわせてご覧ください。

 

【参考リンク】

熊本城周辺の「神風連の変」史跡

花岡山陸軍埋葬地~神風連の変

神風連資料館(桜山神社)

敬神党五士自刃の遺跡