阿蘇の神話~鬼八伝説と的石~

 

国道57号北部復旧ルートが開通したということで、せっかくだから阿蘇方面を取材しようということになりまして。同時に国道57号の現道部も復旧しましたから、さぞや交通アクセスがよくなっているだろうと期待しましたが、北部復旧ルート、大渋滞でした!

 

 

現道・国道57号も渋滞してましたから、秋の行楽シーズンということで、この時期の阿蘇がいかに人気の行楽スポットなのかを思い知らされましたよ。

 

反面、迂回道路としての役目を終えたミルクロードは、本来の交通量に戻り、ガラガラでした。長陽大橋迂回ルートも、きっと同様になっていると思います。

 

 

 

今回は国道57号北部復旧ルート・車帰ICから北に3kmにある、的石をご紹介いたします。

健磐龍命(たけいわたつのみこと)が往生岳の頂上から、的石に向かって弓の練習をしていたという神話が知られています。的石には、弓の練習で穿たれたと言われる穴も見受けられます。

なお、この地区あたり一帯の地名も「的石」となっていますので、Googleマップで探すときには「的石」だけだと地区名が出てしまいます。「的石(神話の石)」として登録されていますので、「的石 神話」とかで探すといいかもしれないですね。

 

階段をのぼりきると、的石からすこし離れた小広場に着きまして、このような矢のオブジェが飾られています。写真を撮るときの小道具として使ってください、ということなのだろうと思います。往生岳から狙うどころか(距離約7km程)、この位置から狙っても当たる気がしませんね。

 

 

 

健磐龍命が射った弓矢は、健脚早足で知られる配下の鬼八が拾って往生岳まで持っていくことになっていたそうなのですが、いかに鬼八といえど疲労も蓄積していたようで、ついには百回目のときに足で蹴返してしまい、それが健磐龍命の足に当たってしまったので、怒って鬼八に斬りかかったそうです。

 

 

鬼八は逃げて根子岳の奥処(おくど)から穿戸(うど)、矢部と走って、そこでとうとう捕まり、鬼八は屁を八つひって隙を見て逃げ出して(矢部の地名の起源と言われる)、高千穂三田井の「窓の瀬」で命と戦って敗れ、捕えられました。

ところが、鬼八の首は切ってもすぐに元通りになってしまう。困った健磐龍命は、鬼八をバラバラに切って、ひとつひとつを別々のところに埋められたそうです。鬼八の墓は高千穂のほかにも鬼塚といわれて、あちこちにあります。

 

 

的石は、豊後街道が近くを通っていますので、参勤交代のときのお茶屋跡や石畳が残されていたり、歴史浪漫を堪能できるスポットですよ!北部復旧ルートですぐに行けますので、ぜひ訪ねてみてください。