熊本城周辺には、「神風連の変」関連の史跡がたくさんあります!今回はそれを一気にご紹介させていただこうと思います。まずは護国神社内にある神風連挙兵本陣跡から。
神風連の変とは、1876年10月24日深夜から25日にかけて起こった士族反乱で、明治政府に対する不満を募らせた神風連(=敬神党)約170名が、太田黒伴雄に率いられ、熊本鎮台(歩兵第13連隊・砲兵第6大隊)を襲撃したものです。西南戦争や秋月の乱、萩の乱も、これに呼応して発生したものと考えられています。
二の丸公園にある、神風連加屋霽堅・斉藤求三郎戦死之跡。事変をかぎつけた政府軍による反撃を受け、銃撃を受けてここで戦死したとされます。神風連は西洋化を否定していましたから、旧来の槍や刀で、近代兵器で武装した政府軍に立ち向かっていったのでした。
あだなりと人なとがめそもみぢ葉の散るこそ赤き心なりけれ 霽堅
夷らをはらひてこそは訪ひも見め梅は野山に咲き匂ふとも 求三郎
歩兵第13連隊歩兵営を襲撃した神風連第三隊(約70名)の討入口と言われています。
阪谷敬一少尉は神風連第二隊(約70名)と交戦し、ここに倒れたと言われています。場所的には、桜の馬場 城彩苑のすぐそばの、川沿いにあります。
歩兵第13連隊第4中隊の兵達は、この大楠の下で円陣を組み、銃剣をかまえて神風連第一隊と奮戦し、破れたと言われています。
歩兵第13連隊軍旗は神風連の変が起きた当時は、連隊長であった与倉知実中佐の私邸に保管されていたそうです。それを神風連第一隊による襲撃を受けて、奪われてしまいます。それを鎮台兵・隈部幸作が奪還したことを記念する碑だとのことです。
鎮台兵・隈部幸作が奪還した軍旗ですが、これを再び神風連に奪われるのを危惧した佐武広命中尉はなんと軍旗を腹に巻いたんだとか。そうしたところ、奮戦中に負傷し、血が軍旗に染みたため、血染めの軍旗と呼ばれました。
今回はくまもとよかとこ案内人の会様にご案内いただきました。その節はどうもお世話になりました。