かつて小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も見たという、宇土の雨乞い大太鼓。小説「夏の日の夢」の一節にも、そのシーンが登場します。
「オーイ、車屋サン!」と、私は叫んで、「アレデス。アレハ何デスカ?」と訊ねる。車屋は、停止もせずに、叫んで答えた。
「どこでん、今は、同じこつばやっとります。もうずいぶんなとこ、雨が降っちゃおりまっせんけん、雨乞いばしよるとです。そんために、太鼓ば打ちょっとです。」
他のいくつかの村も通り過ぎたが、そこでも大小様々な太鼓を見たし、音も聞いた。そして、水田の遙か向こうの、見えない村々からも、太鼓の音が山彦のように響き、こだましていた。(小泉八雲著「夏の日の夢」より)
戦後の急激な経済成長のなか、雨乞い大太鼓はすっかりすたれていきました。かつては祭りの主役であった大太鼓も、神社や公民館の片隅でほこりをかぶったまま放置されてしまったり、壊れてしまったりしていました。
しかし、昭和48年に椿原地区で雨乞い大太鼓が復活したのを契機として、各地区で復興の動きがでてきました。そして、平成2~3年に当時の竹下登内閣が打ち出したふるさと創生事業の交付金を活用して、太鼓の修復と、今回取材をさせていただいた大太鼓収蔵館を建設しました。
大太鼓29基と関連資料28点が、国重要有形民俗文化財「宇土の雨乞い大太鼓附関連資料」として平成29年3月3日付けで文部科学大臣により指定されました。
これが附(つけたり)指定された関連資料のうちの1つである上古閑村の油単(ゆたん)。太鼓の胴にかけるものですが、天保十五年とありますので、これだけでも相当な価値があるものです。
宇土の雨乞い大太鼓の、外見上の特徴の1つである木星(きぼし)。
十四面体の飾りで、片方に24~37個ずつ付けられています。これは、もともと皮止めとして使われた木製の楔が元になっていると考えられていて、それが金属鋲で皮止めをするようになったあとでも、装飾として残ったものではないか、と考えられています。
附関連資料の1つ、大太鼓担い棒。長さが9mあり、重くてとても持ち上がりませんでした・・・。写真右のような、ドラ太鼓も3基展示されています。これ以外の26基はすべて長胴太鼓ですね。
じつはこの大太鼓収蔵館で保存されている大太鼓、どれも実際に叩いてもいいんです!館長さんが「どうぞ実際に叩いてみてください!」と言ってくれましたが、かなり高価な大太鼓だと聞いていましたもので、それはもう、おそるおそる叩きましたよ。
実際に雨乞い大太鼓を演奏していただきました。(アップロードの許可をいただいております。)
本当はこれに鐘や笛などがあわさるとのことで、伴奏がないと地味なんですけどね・・・、と謙遜されていました。
毎年8月第1土曜日に行われる宇土大太鼓フェスティバルには、各地区保存会による市中パレードや大太鼓の競演が行われ、市内外から多くの見物客で賑わうそうですよ。