道の駅「小国ゆうステーション」にある「洋食屋三代目吉井商店」でいただいた、あか牛ハンバーグ。デミグラスソースがかかっていてたいへん美味で、ライス・スープまでセットになって、2,600円でした。同行カメラマンさんのぶんも出したので、結構な出費になってしまいましたが、将来への投資と思うことにしましょう・・・。
この道の駅「小国ゆうステーション」は、昭和59年に廃線になった宮原線(みやのはるせん)の鉄道の駅「肥後小国駅」があったわけですが、当時の線路跡がウォーキングコースとして、いまだに残されていることをご存じでしょうか。道の駅・小国をスタート地点として、北里駅跡まで約4kmほど。煙を吐き出しながら力強くSLが走っていた当時を偲びながら、廃線跡を歩いて散歩するのも、ロマンがあっていいんじゃないかな、と思いますよ。
この写真は、宮原線の鉄道橋として使われていた幸野川橋梁です。前出のウォーキングコースの途中にあります。
実はこの橋、現存する構造物としては珍しい、竹筋コンクリートアーチ橋なんですよ!戦時中は鉄は戦略物資として軍に優先的にまわされ、鉄は不足して調達価格も高騰してたことから、鉄筋のかわりに竹筋を用いることがあったといいます。北里柴三郎記念館の近くにある北里橋梁も同様で、いずれも文化庁により登録有形文化財に指定されているものです。
この宮原線は、どこからどこまでを結んでいたか、ご存じですか?熊本市-小国町間で接続していたと思われるかたが意外に多いんですが、じつは大分県玖珠郡九重町の恵良駅から、阿蘇郡小国町の肥後小国駅間を結ぶ26.6kmが、運行路線だったんですね。森林資源の搬出や観光路線での活躍を期待されましたが、人口の少ない県境を通る路線であることや、他の主要鉄道網とも接続していない盲腸線だったこともあってか、利用がふるわず廃線となりました。
地元有志により旧宮原線跡地活用検討委員会が設立され、橋梁遺構を地域活性化に生かす取り組みがなされているようです。ただし、現状では現地に看板や説明板なども見当たりません。これが価値のある橋であるとなかなか気づかれないのでは、せっかくの貴重な遺構が、もったいないと思います。看板ひとつあれば、だいぶ違うと思うのですが・・・。