神風連資料館(桜山神社)

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神風連(しんぷうれん)の変、をご存じでしょうか。明治時代に起こった旧肥後藩士族の反乱で、急激に欧米化をすすめる明治政府(廃刀令、秩禄処分など)や、日本古来の伝統文化の破壊が進んで行くさまを憂い、熊本鎮台(くまもとちんだい)を大田黒伴雄(おおたぐろともお)率いる約170名で襲撃したものです。有名な映画「ラストサムライ」の元となっていると言われています。

 

なお、熊本鎮台とはいまでいう自衛隊駐屯地のようなもので、旧合同庁舎跡にあり、歩兵第13連隊と砲兵第6大隊が駐屯していました。奇襲攻撃をかけ、鎮台司令官・種田政明(たねだまさあき)や熊本県令(いまでいう県知事)安岡良亮(やすおかりょうすけ)を討ち取りますが、槍や刀などの古来の武装をした神風連の志士たちは、近代的な銃砲の前に倒れていき、翌日には鎮圧されることとなりました。

 

この事件が、のちの秋月の乱、萩の乱、そして翌年の西南戦争につながっていくこととなります。

 

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神風連の変で散った百二十三の志を弔うために、熊本市黒髪に、有志で桜山祠堂(さくらやましどう)が建立され、これがのちの桜山神社となります。桜の字は、神風連(敬神党)の思想の元となった、林桜園(はやしおうえん)の名から取っていると言われています。

 

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神風連の変で散った、百二十三士之碑。じつは、わたくし加来英俊のご先祖様が、こちらで眠っております。

 

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加来十郎といい、神風連の変の当時、25歳でした。

 

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両脇に立ち並ぶ石碑1つ1つが、各志士の墓となっています。

 

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林桜園の墓もここにあります。

 

 

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桜山神社には神風連資料館が併設されており、神風連の変を知らないかたには、館長がていねいに解説を加えてくださいます。

 

 

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なお、神風連とは実は反対派が名付けたもので、本当の名は敬神党(けいしんとう)といいます。旧肥後藩派閥「勤王党」の一派で、その名の通り、神道を重んじる思想を持っている人たちで、多くが神職についていました。ですから、神風連の変の出兵のさいも、新開大神宮で宇気比(うけい)という神事をとりおこない、神託を受けて、出兵したのです。

 

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神風連資料館の創設に尽力した、初代理事長、荒木精之(あらきせいし)氏の碑もあります。神風連資料館が造られる前は、神風連に対しては世間一般の認識はかんばしいものではなかったため、それを憂いてこの資料館を造ろうとされたということです。

 

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神風連に関しては、その末裔たるものとして、広くこの出来事を後世に伝えていきたいと考えています。神風連資料館へ向かうさいには、加来タクシーを使っていただければと思っております。