熊本城特別見学通路 その1のつづき
熊本城の特別見学通路から見える、二様(によう)の石垣は、熊本城のみどころの1つ。勾配の緩いほうが加藤清正公の時代に築かれたものであり、勾配が急な手前側は、細川時代になって築かれたものです。
細川時代になって石垣積みの技術が向上し、より急勾配のものが作れるようになったということですね。時代の異なる石垣をならべて見ることができるのが、面白いところです。
隅部を見ると、手前の清正公時代のものは同じような大きさの石を重ねる「重ね積み」、奥側の細川時代は長方形の石を長いほうと短いほうを交互に重ねていく「算木積み」になっています。
本丸御殿建築の際に、細川時代に積み増されたというのが定説ですが、ここ最近になって、じつはどちらも加藤清正公による石垣では・・・?という新説も登場しました。
ここは熊本城と二様の石垣が、同時にフレームインできるということで、人気の撮影スポットだったのですが、特別見学通路からもバッチリ撮影可能ですよ。
崩落したままになっている、連続外枡形。
幾重にも折れ曲がって、防衛に有利な形状ということですが、これを地上6mの特別見学通路から見下ろせるというのがポイントです。
いままでは地上の高さ、すなわち攻撃側の視点でしか見ることができなかった連続外枡形を、6mの高さ、防御側の視点で見ることができるということなんです。
熊本城特別見学通路の終点。こちらから、本丸御殿横にのぼっていくことができます。
本丸御殿の近くにある井戸。加藤清正は朝鮮出兵のときに水の重要さを痛感したといわれ、熊本城には120余の井戸を掘ったそうです。そのなかで現存しているものは17基ほど。
現在、本丸御殿のなかに入ることはできませんが、その下の「闇り通路」(くらがりつうろ)を通ることができます。昼でも暗いので闇り通路と呼ぶわけですね。
本丸御殿は2つの石垣をまたぐ形で建っているため、地下空間を有する珍しい御殿建築物となっています。
闇り通路を抜けると、熊本城天守閣を目にすることができます。あたり一面を鉄板が覆い、おびただしい量の足場とクレーンが、深刻な現状をつきつけてくるようで、心が痛い感じがいたしますが・・・。
でも、熊本城復興もここまできたか!という前向きな気持ちがわきあがってきました。来年には天守閣にもはいることができる計画のようです。
城彩苑と熊本城の間は、無料のシャトルバスが運行されています。単に移動手段というだけでなく、バスであれば車両侵入禁止のところを車上から見てまわれるという意味でも、乗ってほしいですね。