木原不動尊~日本三大不動


日本三大不動尊の一つに数えられる木原不動尊は、じつは正式名称は別にありまして、「雁回山 長寿寺」といいます。

本山が熊本市南区富合町木原にあるため、一般的には木原不動尊と呼ばれています。毎年2月28日に行われる春季大祭には、大勢の参拝者が訪れます。


春季大祭ではご本尊ご開帳のほか、採灯大護摩供、火渡り、湯立て、湯浴びといった荒行の数々が行われ、特におき火の上を修験者が素足で歩く火渡りは、毎年多くのカメラマンが集まります。

修験者が渡ったあとのおき火を参拝者が裸足で歩くと、一年を無病息災で過ごせるといわれています。
 


ご本尊は、天台宗開祖・最澄が一刀三礼して刻んだと伝えられる不動明王立像でして、秘仏となりますので普段は厨子の中に大切に納められております。

毎月28日の縁日のときには御開扉され、朝5時から日没まで拝観することができます。
  


木原不動尊におわすお不動さまは、恵みの雨をもたらすお不動さまでして、別名水引不動さまと呼ばれております。

これは、かつて大かんばつで水田が干上がってしまったとき、困った里人がお不動さまに祈ると、不思議なことに田の中に水が引き上げられており、お不動さまの足には泥水の跡が付いていたという伝説から来ています。
 


大日如来の成り代わったお姿とされる不動明王さま。剣と縄をたずさえ、憤怒の表情でとても怖いお顔をしてらっしゃいますが、この憤怒の表情は、すべての人々を力づくでも救う決意があらわれているとも言われています。

手に持った剣は人々の迷いや欲望を断ち切り、欲の海に溺れる人々を縄で引き上げてくれるのです。
 


木原不動尊は比叡山延暦寺の末寺として、延暦年中に宗祖傳教大師が開基したとされ、保元・平治の頃には、鎮西八郎為朝(源為朝)が木原山在城の時、鬼門除の祈願所として信仰されました。しかし、天正年間に小西行長公による寺領没収等の憂き目にあい、寺は荒廃しました。

加藤清正が肥後城主となった際に再興されましたが、再び荒廃し、明治維新の折についには廃寺とされました。地元住民からの復興の願いにより、明治25年に再興の許可を得ました。

 
しかしその後、復興が遅々として進まず、明治40年に中興の祖とされる吉里弘禅師が住職となり、再建を主導していくこととなります。

大正11年より地元有志により木原不動尊霊跡顕彰会が発会され本格的な堂宇の再建がはじまり、大正15年に本堂が完工しました。
 

    
木原不動尊は檀家を持たない純粋な祈願寺だそうで、悩み多き庶民の願いをお不動さまにお伝えしてくださいます。悩みが絶えないご時世、一度ご参拝されてみてはいかがでしょうか。