小野泉水公園(ホタル生息地)

 

 

小野泉水公園(熊本市北区植木町)はホタル生息地として知られ、小野小町伝説がある泉水がございます。

 

平安時代の絶世の美女、そして六歌仙のひとりである小野小町が、産湯をつかった泉水があるというのです!

 

 

ただし、小野小町の出生地ははっきりしておらず、各説あることは、あらかじめ申し上げておきたいと思います。秋田県湯沢市小野とする説、京都市山科区とする説、福井県越前市とする説、福島県小野町とする説、神奈川県厚木市小野とする説、そして熊本県熊本市北区小野とする説がございます。

 

平安時代の女流歌人、小野小町ゆかりの泉水。父の小野良実がこの地に流刑になったときに小町が生まれ、泉水の水を産湯につかったという伝説が残っています。

岩の隙間や池底湧出する水は豊富で、池のほとりには小町像が安置される小町堂、その横には小町が詠んだ「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」の歌碑が建立されています。(現地案内板から引用)

 

 

小野泉水は自然にわきでる湧水で作られた池で、鯉もたくさん住んでいます。水面に映える緑が美しく、取材に来たときにも一眼レフカメラをかついだ方が、写真を熱心に撮っていらっしゃいました。ここで小野小町が産湯をつかったのでしょうか。

 

5月頃になると、ホタルが見られるということです。

 

 

さて、そもそも小野小町美女伝説はどこから来たのでしょうか?写真もなにもない時代、肖像画すら見つかっていないのに、美女伝説は現代まで残っています。

 

朱色あざやかな小町堂。小野小町像が安置されていて、毎年3月15日にご開帳されます。

 

それは、紀貫之が六歌仙を選出したときの寸評によるものとされております。

小野小町はいにしへの衣通姫の流なり。あはれなるやうにてつよからず。いはばよき女のなやめる所あるに似たり。つよからぬは女の歌なればなるべし。」

「衣通姫(そとおりひめ)の流れなり」の解釈が難しいですが、衣通姫の「何の」流れなのかを明示していないため、いかようにも読めます。後世の人はこれを「衣通姫のように美しい容姿」という意味だと解釈したようです。というのも、衣通姫の歌は1つしか後世に伝わっておらず、そのため「歌の流れ」とは解釈しがたいためです。

衣通姫とは、絶世の美女と言われている伝説の女性で、美しさのあまり衣を通して光り輝いたと言われています。

 

 

小野泉水にかかる正院めがね橋。

 

安政三年(1856年)に正院川に架設されていた橋であるが、河川工事により昭和52年3月に、正院より現在地に移転して復元されている凝灰岩製。単一のアーチ橋である。幅2.1m。両脚間の幅4.8m、水面までの高さ2mである。楔石に陰刻銘がある。(現地石板の記述より)

 

 

正院めがね橋。こちらから見るとアーチ状の構造がよくわかりますね。

 

正院めがね橋

 

小野小町は、本名ではないとされます。当時、名前に「町」をつけてよばれるのは、後宮に仕える女性でした。ですので、小野小町という名前は、宮仕えしている小野さん、というような意味合いになるのではないかと思われます。

 

ところが「小」町と、町に「小」がついていますね。これは、小野小町にはお姉さんがいて、「年が若い方の小野町さん」という意味で、「小野小町」とよばれていたのではないか、と考えられます。

 

 

七国神社。中傷によって流刑に処せられた小野良実が無事に都に戻れるよう祈願して建立されたものといわれています。その後、小野良実はその願い通り、無事、都に戻ることができました。

 

 

都に戻れたはずの良実の墓が熊本にあるのは、いったい・・・?(小野泉水公園のすぐそばにあります)

 

 

小野泉水に隣接して、小野泉水公園が設けられており、水遊びをする場所などもありますから、夏場にお子さん連れで遊びに来るにはよいスポットかと思います。