今回から八代編となりますが、まずは八代妙見祭で知られる八代神社に来てみました!日本三大妙見の1つに数えられる神社です。妙見さんはいわゆる北極星信仰の神社ですね。
創建は795年(延暦14年)とのことで、八代、下益城、芦北三郡の一宮として大いに栄えたと言われています。(一宮とは、その地域でもっとも社格が高いとされる神社のこと。)
八代神社の社殿群は入母屋造りで千鳥破風が設けられています。現在の社殿群は1699年と1749年に改築されたもので、県の重要文化財にも指定されています。
全体的に朱塗りされ、妻飾りの霊獣の彫り物などがまた見事で、荘厳な作りに神社の風格を感じさせますね。
八代神社
八代神社は、明治4年(1871)まで妙見宮と呼ばれ、文治2年(1186)に検校散位(けんぎょうさんみ)大江朝臣高房がこの地に創建したと伝えられています。祭神は、北極星と北斗七星を神格化した天御中主神と国常立尊です。
南北朝時代から戦国時代の混乱期を過ぎ、加藤氏による八代城完成と同年の元和8年(1622)に社殿が、また寛永13年(1636)には細川三斎公によって神輿と神輿屋、脇殿、拝殿などが再興されました。その後の元禄12年(1699)と寛延2年(1749)に、城主松井氏によって修復がなされ現在に至っています。
社殿は、屋根は入母屋づくり、正面に千鳥破風があり、数多くの緻密な彫刻が随所に施され、江戸時代中期から後期の社寺建築の特徴がよく表されています。
11月22・23日の秋季例大祭である妙見祭は九州を代表する都市祭礼で、「八代妙見祭の神幸行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。
(現地案内看板より引用)
八代神社には八代妙見祭展示館もありました。中にはいることはできず、外から観覧する形になります。八代ロータリークラブにより奉納されたものです。
八代妙見祭はユネスコ無形文化遺産「山、鉾、屋台行事」の一部としても登録されています。九州三大祭りのひとつでもあります。(他の2つは「博多山笠」、「長崎くんち」)
妙見祭の起源は明確にはわかっていないそうなんですが、いまから500年前には神幸行列や流鏑馬といった祭礼行事が行われていたことがわかっています。現在の神幸行列の原型を作り上げたのは細川三斎と言われています。
なぜか、国歌にうたわれている「さざれ石」が展示されていました。
さざれ石のそもそもの意味は、「小石」ということですが、国歌でいうところの「巌(いわお)」となった状態のさざれ石ということで、この塊となった状態(石灰質角礫岩)もさざれ石というようになったようです。小石の隙間を炭酸カルシウムや水酸化鉄が埋めることによって1つの大きな塊を形成したもの。
大楠と西南戦争
明治10年の西南戦争で、この一体(当時は宮地村)は官軍・薩軍の攻防が激しいところであった。戦禍は猫谷村・古麓村に拡がった。
この大楠(市指定記念物)は、中性の歴史と明治の戦いを眺め、その幹には多くの銃弾が撃ち込まれているという。
境内の樹木が台風で倒れたので製材に出したところ、銃弾が入っていて鋸の歯がつぶれたという。
江戸時代再建の妙見宮(八代神社)の社屋と共に、当時を偲ぶ数少ない語り部である。
毎年11月22日、23日が妙見祭となりますが、お祭り期間以外でもぜひ歴史ある神社を訪れてみてください。