高瀬裏川花しょうぶまつりと、石橋群

 

玉名での初夏の納涼イベント、高瀬裏川花しょうぶ祭りが今年も開催されました。平成29年でもう27回目にもなるんですね。今回はイベント開催前に、事前調査に来ました。花菖蒲は約6万5千本といいますから、かなりのものですよ。

 

 

訪問したのが5月24日で、イベント(5月26日~)の2日前だったため、花菖蒲はまだ、ぽつぽつと咲いているものがあるかな、くらいでした。アイラトビカズラも開花が遅かったですし、今年は全体的に花の開花が遅いのかもしれません。

 

 

本題にはいるまえに、玉名の地名の由来を軽くご説明しておきますと、日本書紀では「玉杵名邑」(タマキナムラ)との記述があるようです。和名抄には「多萬伊名」(タマイナ)との記述があり、天満宮託宣記(太宰府天満宮)には「玉井名」とあるようです。ここから、いまの「タマナ」という呼び方に変遷していったようです。(玉名市ホームページ「玉杵名の歴史」より)

 

 

江戸時代からある歴史ある石橋などもたいそう見事ですし、なにより水辺をきれいな花を見ながら散策するのは、心が洗われるようですよ。

 

7つの石橋からなる高瀬裏川石橋群のうち、高瀬眼鏡橋は県指定重要文化財となっています。

 

 

秋丸眼鏡橋。天保3年(1832年)に造られた、熊本県でももっとも古い部類にある石橋です。熊本県の石橋として最も有名な「通潤橋」よりも、さらに22年も古いものです。(ただし、いまの姿は裏川河川局部改良事業に伴い、解体・移築されたものです。)

 

水流調節を行う分流板を備え、洪水時の逆流による冠水から畑を守る役割を果たす、技術的にとても秀でている珍しい橋となります。

 

 

風情ある石畳に、苔むした石垣・・・この風情がたまりません。夜間はライトアップされて、また違った美しさが際立ちます。

 

 

もっとも幅が広い土戸橋。

 

上流部には、周辺商家の石垣に合わせ、当時の商人達が、荷物の搬出入のために築いた石橋群を見ることができる。この石橋のいくつかには、橋台に荷車用の車溝がほられており、当時の商人の知恵と工夫を見ることができる。(案内板より)

 

 

小崎橋。

 

 

小崎橋。車溝がついているのがわかります。人がすれ違うのがやっと、荷車などは交互に通さないと無理ですね。

 

 

酢屋橋。

 

 

酢屋橋。車溝はなく、中央がくり抜いてあるのがわかります。橋によって作りが違うのが面白いですね。

 

 

高瀬眼鏡橋。嘉永元年(1848年)、町奉行の高瀬寿平らによって架けられました。

 

 

高瀬眼鏡橋は歩行者専用道路として、いまでも機能しています。

 

 

お祭り期間中は、コンサートの開催などもあり、毎年20万人がおしよせるイベントとなっております。高瀬地区では西南戦争の遺跡なども多く存在しますので、お祭りのついでにいろいろ歴史的史跡を見て回りたい、という方は、観光ガイドタクシー「加来(かく)タクシー」をご利用くださいませ。