八代城跡群の1つとして国の史跡に指定されている八代城跡公園を、今回はご案内いたします。
「八代城群って、どういうこと・・・?」
と不思議に思うかもしれませんが、じつは八代城とよばれたお城は1つではなく、(1)南北朝時代の古麓城、②安土桃山時代の麦島城、③江戸時代の松江城の3つがあるのです。一般的には、松江城のことを八代城跡と言っていますね。
八代城跡というくらいですから、建造物は一切残っていません。昔は文化財保護の意識は低かったようで、明治時代までにはすべて取り壊されてしまったとのことです。現在は水堀に囲まれた本丸の区画が公園として整備されており、石垣の上を歩いて散歩することができますよ。
大天守跡には、木碑が建てられていました。
第3代八代城である松江城を建てたのは、加藤正方(かとうまさかた)という加藤清正に仕えた筆頭家老です。清正公が亡くなられた後、幕命により麦島城(第2代八代城)に入城したのですが、地震により麦島城が倒壊したため、松江城を新築させました。ですので、松江城の初代城主が加藤正方公ということになりますね。
こちらは小天守跡。
第二代八代城主としては細川忠興公が入城しますが、第三代八代城主・松井興長以降は、第十二代城主となる松井盈之にいたるまで、すべて松井家が世襲していくこととなります。
第二代八代城である麦島城のころから、八代城は一国一城令の例外として存続を認められてきました。
これは全国的にも異例のことで、熊本城と八代城が併存できた理由は諸説ありますが、薩摩藩や人吉藩への備えというのが通説となっています。
水堀をめぐる周遊船も運航されています。ひとり800円~1000円で、事前予約制となっております。
当初は、白い石灰岩を用いた真っ白な石垣であったことから、白鷺城とも呼ばれていました。現在では黒くなってしまっていますが、有志によって石垣を磨いて白くするというプロジェクトも進行中とのことですよ。
建造物こそ残されていませんが、現在は公園として、地域の人々の癒やしの空間となっています。在りし日の八代城の姿を想像しながら散歩を楽しむのも、乙なものではないでしょうか。