豊岡の眼鏡橋(とよおかのめがねばし)

 

今月は「田原坂の戦い」を中心にご紹介させていただいておりますが、本日は「豊岡の眼鏡橋」をご案内させていただきます。田原坂のふもとにかかる歴史ある石橋で、西南戦争に参加した政府軍兵士が、激戦地・田原坂に赴くときに越えていった橋です。

 

が、その前に腹ごしらえ・・・

 

玉東町・木葉駅近くにある、「そば是 上々吉」さんで、10割蕎麦をいただきます!久しぶりに訪れたら、お店が古民家風にリニューアルされていたので、驚きましたよ。おいしいお蕎麦が評判になったので、お店が大きくなったということなのでしょう。

 

 

おいしい蕎麦のいただきかたの解説がありました。かなりのこだわりようです。

 

 

本格的な蕎麦を食べたかったら、間違いの無いお店ですよ!田原坂近くでお食事をされるときには、個人的オススメのお店です。正面の月極駐車場内に、お店の駐車スペースが確保されていますので、お車でご来店されても大丈夫ですよ。

 

 

本題に戻りますが、豊岡の眼鏡橋とは、およそ200年前に作られた石橋で、年代の判明している石橋としては、熊本最古のものだということです。

 

 

輪石のずれを防止するために、石と石の間に、楔石(くさびいし)が打ち込まれているのも特長です。古い石橋で時折見られる工法です。

 

 

豊岡の眼鏡橋 熊本市指定文化財
「この石造眼鏡橋は両脚の幅11.2m、高さ4.4mある。輪石の厚みは45cmで、輪石と輪石を楔石で継いだ単一アーチ橋である。最後の行に、享和壬戌二年十月吉日の陰刻がある。年号のはっきりしている石造眼鏡橋では、熊本県内で最古の橋といわれている。
享和二年は1802年であるから、江戸時代好期にあたる。
この橋を渡り、川沿いに添って旧道があり、国道208号線へ出た所に「田原坂攻撃官軍第一線陣地跡」の石標が建っている。官軍は田原坂本道の丘の右翼及び左翼へこの川沿いの旧道を通り、本眼鏡橋を拠点に出撃して行った。
川の名は滑川といわれ、この眼鏡橋は左記有志の篤志により架橋されたと推定される。
上流側の楔石に鈴麦村田原村庄屋彦次郎、正院会所詰弥兵衛、
右同総代寿三郎、右同甚兵衛、右同良助
下流側の楔石に山本郡口川、内田手永月田村、石工理左衛門、
右同吟右衛門、右同次平、右同惣八、正院手永円台寺村、右同大平、南関手永関東村、大工嘉右衛門とある。」
熊本市教育委員会

 

 

現在、車両の通行はできないよう石杭が打ち込まれていますが、歩行者道としては現在でも利用されています。写真左手に見える坂が、田原坂です。

 

 

上の写真の左手部分を拡大してみました。当時は荷馬車が通れる幅員を持つ道路がここしかなかったということで、この田原坂争奪をめぐる激しい戦いになったのですね。




 

そば是 上々吉

〒869-0303 熊本県玉名郡玉東町木葉600−3

0968-85-6866