日本赤十字社発祥の地が熊本であることはご存じでしょうか。のちに日本赤十字社となる博愛社が誕生したのは、熊本が激戦地となった西南戦争のまっ最中でした。
その中でも、正念寺は激戦地・田原坂に近かったため、官軍病院が設置され、多くの傷ついた兵士が運び込まれたということです。博愛社設立後は、敵味方分け隔てなく治療が行われました。博愛社の最初の救護活動開始の場所であるとされています。
元老院議官・佐野常民は、熊本洋学校ジェーンズ邸にて有栖川宮熾仁親王殿下に直訴し、博愛社設立の許可を得た後、医療スタッフ4名を正念寺に派遣し、活動をはじめたとされています。(※博愛社最初の活動場所は諸説あります。例えばこの近くにある徳成寺も同様の活動が行われており、博愛日誌や日赤社史稿にも記録が残っていません。)
「博愛社発祥縁起の地」の碑。赤十字のマークではないことがわかります。当時、十字マークはキリスト教を連想させると反対されたため、赤の日の丸の下に一本線を引いたマークをつけ、名前も赤十字ではなく、あえて博愛社としました。
負傷兵が運び込まれた本堂はすでに存在していないそうです。また、本堂の裏手に臨時救護所がもうけられていたので、そちらが正真正銘、博愛社最初の活動場所ではないかという人もいます。
「大義を誤り、王師に敵すといえども、
皇国の人民たり、皇家の赤子たり。」(博愛社の設立請願書より抜粋)
激戦区である田原坂に近かったために、なまなましい銃撃の跡も、山門に残されています。(白くマーキングしてあるところ)
一般兵にまでは博愛社の精神が理解されず、設立初期は多くの医療スタッフが攻撃され、犠牲になったということです。
山門を道路側から撮影したもの。官軍病院跡の碑がたっています。また、山門は通れないように封鎖されています。
殉国烈士霊位碑。
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