西南戦争時の銃撃の跡が残るという、辺田野熊野座神社にお邪魔いたしました。705年に紀州本社から勧請されたというのですから、由緒ある神社になります。
石造りの鳥居の背後には、天然記念物に指定されていた夫婦杉が見えます。樹齢は不明となっていますが、圧倒される大きさですね!
薩軍は、本営のあった木留を政府軍に奪われたのち、ここ辺田野に後退しています。4月9日の辺田野攻撃に参加した乃木少佐は、この境内で負傷しました。
そのときのことを詠んだ乃木大将(※少佐から昇進してます)の詩碑が、境内内に建てられています。
【意訳※植木町教育委員会による詩碑解説板から抜粋】
敵と対峙して随分長くなる。この間何度戦闘があったことか。
だんだんと戦場にも慣れ、肝っ玉もすわって大胆になってきた。
弾丸は菜の花畑に雨あられと飛んでくる。
しかし、酒を飲み刀を枕にすれば、飛んでくる弾丸も気にならず、雷のような大いびきをたてて寝てしまう。
西南戦争時に銃弾を受けたとされる拝殿。
うーん・・・。石柱に埋まっている、コレがそうではないかなと思いますが、特に解説板で示してあったりするわけではないので、確信はもてなかったですね・・・。チョークで印でもあると助かるのですが。
壁板のところどころの穴も、銃弾の跡のようでもあるし・・・、弾が抜けてしまっていると、なにが原因で出来た穴かなんて、判断が難しいところではありますね。
木留の薩軍本営跡からも近いですし、西南戦争関連史跡を巡るのであれば外せない場所ではないかと思います。