石造りの桁橋では国内最大とされるのが、天草市の町山口川にかかる祇園橋です。しかも珍しい多脚式、日本百名橋にも選ばれています。
国指定重要文化財 祇園橋平成9年12月3日指定
この石橋は、天保3年(1832年)町山口村庄屋大谷建之助が発起し架設したもので、祇園神社の前にあることから、祇園橋と呼ばれています。石造桁橋では日本最大で、長さ28.6m幅3.3mあり45脚の石柱により支えられています。下浦村(現下浦町)石屋の辰右衛門により建造され、地元の砂岩が使用されています。
この付近は、寛永14年(1637年)11月 天草の乱で、天草四郎の率いる宗徒軍と、富岡城番代三宅藤兵衛の唐津軍とが激突した場所です。両軍の戦死者により川の流れは血に染まり、屍は山を築いたと伝えられています。
毎年、10月の第4日曜日には殉教祭が催され、宗派を超えて御霊の供養が行われています。
熊本県観光課の案内文から引用
多くの橋脚で石橋が支えられる構造になっています。
国指定重要文化財「祇園橋」の碑。
20年以上前には、祇園橋のたもとに南蛮えのきという樹齢300年の榎がそびえたっていて、祇園橋や祇園神社とあいまって、見事な景観を有していたということですが、老朽化により倒壊の危険がでてきたため、平成九年に南蛮えのきは伐採されてしまいました。
天草の乱激戦地之跡の石碑。
天草・島原の乱が起こっていた時代には、まだ祇園橋はありませんでした。(乱後、200年たってから祇園橋が作られました。)
実際に渡ってみますと、石と石のすきまから川が見えるので、ちょっと怖かったりします。
町山口川の
流れせきとめし
殉教者の
むくろ数百千にして
名をはとどめず
德壽
祇園橋のそばには、真新しい祇園橋公園が整備されていました。
橋の近くには地元の郷土史家のかたのご自宅があり、さまざまな石碑がところ狭しと置いてありました。
この近辺には天草島原の乱にまつわる史跡が多数密集している地域になりますが、記事が長くなりすぎますので、つづきは次回以降にもちこします。