山鹿灯籠民芸館の取材のとき、入場券を買うさいに、「八千代座にもはいれる共通入館券がお得ですよ!」と言われましたので、せっかくなので、八千代座も見学していくことにいたしました。明治43年から続く、国指定重要文化財でもある芝居小屋です。ちなみにこの共通入館チケット、さくら湯の割引券にもなるという、何重にもお得なチケットなんですよ。
というわけで、八千代座にやってきました。まずは正面の瓦に注目していただきたいですが、この広い屋根には約33,000枚という瓦がひかれておりますが、実は大部分が平成の大修理で新しいものに取り替えられております。しかし、正面の約1,500枚だけは、当時の古い瓦がそのまま使われているんですね。
明治43年、当時の山鹿の旦那衆によって、豊前街道沿いに”八千代座”を設立することが決められました。この芝居小屋を作るにあたって、旦那衆は”八千代座組合”を作り、1株30円で株を募って、資金を集めたということです。
老朽化し、一時は倒壊の危険すらありましたが、平成8年7月から平成13年5月にかけて行われた、平成の大修理(重要文化財八千代座保存修理工事)を経て再生を果たし、いまでも市川海老蔵や坂東玉三郎といった歌舞伎界の大物の公演がなされています。
八千代座創建にあたって、資金をだしあった旦那衆とは、いまでいう山鹿市実業界の人々・・・といった人たちですが、具体的にどのような人がお金を出資したのかは、八千代座の天井を見るとわかります。
八千代座を特徴づける、色鮮やかな天井広告画。他の芝居小屋では見られない特色で、明治から昭和にかけて、3パターン作られましたが、今回の修復では建設当初のものを復元してあります。一部図柄が不明なものがあったため、同じ広告画が何回も使われていたりします。
平土間(枡席)にて、係員が八千代座の歴史や建物の特徴などを、冗談まじりに愉快に説明してくださいます。取材した日はご年配のかたが多かったですが、熱心に係員の説明を聞き入っていました。
舞台側から、客席を見た写真。平土間(枡席)には傾斜がつけられているのが分かりますでしょうか。これは後ろの人でも舞台が見やすくするための工夫ですね。なお、畳は、傾斜があって滑るため、逆目にしてあります。
枡席は歩み板で仕切られていますが、この歩み板の上をつたって、売り子さんがお弁当などを売りに来ていたそうです。
天井に見えるシャンデリアは平成の大修理によって蘇ったもので、第二次世界大戦の金属供出でなくなっていましたが、平成13年に復元されました。当初は写真も資料もまったくなくて困っていたそうですが、新聞記事にたまたまシャンデリアが映り込んでいた写真があったから、復元できたんだそう。
大屋根を支えるための小屋組(屋根を支える骨組み)には、洋式のトラス工法(クイーン・ポスト・トラス)が採用されています。そのため、柱が少なく広い客席空間を確保することができています。小屋組の下は伝統工法ですので、和洋折衷の建築様式となっています。
なお、現在の八千代座には、耐震補強の観点から、明治43年の建設当初は存在しなかった柱が追加されています。上の写真の赤い柱は建設当初からあったもの。黒い柱は耐震補強のために追加された柱になります。こればかりは安全のために仕方がないですね。
花道のつけ根のところにある小型のセリである”スッポン”。幽霊や妖怪といったキワモノが登場するところですね。
スッポンの真下。なんと人力!!大人4人で、よいしょ!と担いで、せりあげたわけですね。
スッポンの真下の写真があることからもわかるとおり、普段は決して見ることはできない、舞台の下(奈落)まで見学することができるんですよ。ただし、見学は公演期間中にはできませんので、そこだけはご注意ください。
奈落の壁を見ると4段に石が積まれていて、この石は鍋田石とよばれる凝灰岩となります。
廻り舞台の下。なんとここも人力なんですね。廻り舞台を支えるレールには「KRUPP1910」の文字が刻まれており、ドイツ・クルップ社製のものであることがわかります。伝統的な外観でありながらも、各所に外国の技術が採用されているのも八千代座の特徴です。
向かいには当時の映写機や上演記録、チラシといった資料を見ることができる資料館”夢小蔵”もございますので、演目のないときに、ぜひ見学に訪れてはいかがでしょうか。(八千代座の見学チケットで夢小蔵もはいれます。)