熊本県美里町にある霊台橋を今回はご紹介いたします。
昔の街道名でいうと日向往還に架けられた橋で、明治以前に架橋された単一アーチ式石橋としては、日本一の径間(=橋脚間の長さ)を誇ります。
ここは船津峡と呼ばれる川の流れの速い難所で、この石橋が架橋されるまでは、木橋が増水するたび流されてしまい、住民は困っていたそうです。
この橋のすごいところは、昭和41年5月に新霊台橋が架橋されるまでは国道橋としてバスやトラックがこの上を通行していたということです。(写真左の緑色の橋が、新霊台橋)
明治33年に県道の一部となりましたが、そのときに石橋の上にさらに石垣を積んで、石橋を平らにし、自動車が走行できるように改良されました。車道としての役割を終え、歩道橋となった現在は、もとの姿に戻す工事が行われ、架橋当時の姿に復元されています。
いまでも国道橋であった時代の名残りを見ることができます。階段は復元工事のときに作られたものですが、石垣部分は国道橋時代の状態であると思われます。階段を上りきったところが、国道橋時代の橋の高さであったということですね。
霊台橋の緑川左岸には、内大臣森林鉄道の隧道跡が残っています。写真中央下に見えるトンネルですね。大正4年から昭和37年まで運行されていた路線で、甲佐駅から山都町の貯木場を結んでいました。
れいだい
霊 台 橋(国指定重要文化財)
緑川本流の最大の難所、船津峡に架けられた日本一の単一アーチ式石橋です。
この橋は、1847年(江戸時代末期)に、当時の惣庄屋 篠原喜兵衛のもと、
種山石工の卯助兄弟、大工の棟梁の伴七、さらには、近在住民の総力を結集
して完成したものです。
橋の前兆約90cm、アーチのスパン27.5m。昭和41年に上流の鉄橋が
架けられるまでは、この石橋をバスやトラックが走っており、人を渡し、
物資を渡し、文化を渡していた。
環境省 熊本県(現地案内板より引用)
名前の由来ですが、「霊台」とは物見台の意味であり、心霊的なものとはいっさい関係ありません。
大勢の大工や農民の協力のもと、工期が6~7ヶ月程度とありえないほど早期に工事が終わったことが、中国の古典「孟子」の中での霊台建設の話に類似すると考えた篠原善兵衛が、故事にあやかり「霊台橋」と名付けたそうです。
近くにある緑川ダムも無料で見学できますし、美里町は石橋も多いですので、緑川ダム見学とセットに石橋ツアーというのはいかがでしょうか。