教育勅語や御真影を奉る場であった奉安殿ですが、GHQの神道指令によりほとんどが破却され、現在ではほとんど見ることができません。
ところが、黒石原飛行場の奉安殿は解体をまぬがれ、かつ原位置に残る、県内でも唯一ののもので、近代遺跡として貴重な文化財となっています。
黒石原飛行場の奉安殿は、洋風の様式で大理石が貼られていたということですが、現在ではベースとなるコンクリートがむきだしとなっています。
奉安殿の内部。
黒石原飛行場は昭和十六(1941)年四月に現在の合志市豊岡に熊本地方航空機乗員養成所として開所されました。
この時期に黒石原(飛行場)奉安殿は、創建されました。航空機乗員養成所とは、逓信省航空局が設置した民間航空機乗員(操縦士、機関士、通信士)を養成する施設で、全寮制で軍隊式の教育が行われていました。
ここ黒石原飛行場からは、終戦までの四年間で五百三十四人が巣立っていきました。昭和二十年三月から四月にかけては沖縄戦に出撃する特攻機の中継基地として利用され、五月十三日には米軍機による空襲を受けました。この日の攻撃により、七名の犠牲者が出ています。
そして七月からは、本土決戦に向けて特攻隊機十二機が常駐していましたが、八月十五日終戦を迎えました。
(くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワークリーフレットより引用)