金栗四三の座右の銘、「体力、気力、努力」。墓地にはこのような石碑が建てられていました。
生前、金栗が揮毫した力強いこの言葉。地元のスポーツに携わる若者たちを、大いに奮い立たせたことでしょう。下のほうには、スヤさんが白寿のときに扇子にしたためた短歌も刻まれています。
「あたたかき 世の人々に 守られて 白寿となりぬ つつがなくして すや」
金栗四三が半生を過ごした、思い出の場所を一望できる高台に、この墓所はあります。
1983年(昭和58年)11月13日、92歳で亡くなった金栗四三は、妻である春野スヤや、養母である幾江などの家族とともに、この地に眠っています。
三宅重人という方の立派な墓石もありました。
金栗四三をはじめ、10人がこちらで眠っているようです。もともとのお墓を立派に建て直されたようですね。
すこし引いた見上げるアングルから。人工芝を引いてあり、コンクリートで手すりつきの道路を作ってあって、とても立派な墓地となっています。
金栗四三住家(池部家)のすぐそばにあります。