地元では瑞巌寺公園として、ホタル観測地として知られている場所ですが、瑞巌寺跡としての熊本市指定名勝史跡でもあります。寛文年間に本覚寺の光朝法印が瑞巌寺霊応山を創建したといわれています。
本覚寺といえば、加藤清正公の側室であった本覚院(菊池武宗の娘)を弔うために、妙永寺境内に本妙寺の末寺として建立されたと言われています。地元では六角堂と呼ばれることも多いですね。
毎年5月下旬~6月上旬にかけて、西浦川にはゲンジボタルを見ることができるそうで、その時期になると竹灯籠が灯され、多くの人でにぎわいます。
夜8時から9時までが見頃だそうで、近くの山林ではヒメボタルの生息地もあるということです。
瑞巌寺だと誤解されがちな地蔵堂。熊本市指定名勝史跡に指定されているのは、あくまでも瑞巌寺「跡」であって、こちらの地蔵堂ではございません。
敷地内にある岩下小学校跡の石碑。1876年(明治9年)に設立された岩下小学校は、1881年(明治14年)に徳王小学校が合併して日新小学校となりました。そのあと、周辺の小学校と合併し、いまの熊本市立西里小学校となります。
有名な卒業生としては、熊本市市長を務めた幸山政史さんがいらっしゃいます。
裏山には階段があり、こちらを登っていくと、当時を偲ばせるさまざまな石造物を見ることができます。
瑞巌寺跡は、平成18年の熊本水遺産にも登録されているほか、「金峰山湧水群」の1つとして、名水百選にも指定されています。
端坐洞(たんざどう)。端坐とは礼儀正しく坐る、座禅という意味で、当時の僧などがこのお洞で座禅を組んで修行したと思われる。(熊本市設置の現地案内板より引用)
肥後国誌に「阿蘇大明神、瑞巌寺ノ懸崖ニアリ」とあり、崖面に陰刻された「阿蘇宮」などは神仏習合の名残と思われる。(熊本市設置の現地案内板より引用)
寺跡を思わせる建物の名残こそありませんが、石造だからこそこの時代まで残った当時の石造物を見てまわると、当時の僧たちがこの地で修行にいそしんでいた時代を想像させてくれますよ。