後藤是山(ごとうぜざん)記念館

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後藤是山(ごとうぜざん)と聞いても、地元・熊本の人ですら、なかなか名前を知る人が少ないのではないかと思います。九州日日新聞社(現・熊本日日新聞社)のジャーナリストとして、熊本の文化的発展に寄与した人物となります。文化人・ジャーナリストとしてだけでなく、俳人、郷土史家としても功績を残しています。

 

まだ郷土史がほとんど手付かずであった当時、「肥後国誌」「肥後の勤王」といった、熊本の郷土史を学ぶ上で必読書といわれる著書を書きあげました。

 

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熊本地震により、資料館の周囲には足場が組まれていて、補修工事が行われている最中でした。

 

ここでは与謝野鉄幹・晶子夫妻の短冊など、新聞記者として後藤是山と交流があった著名人たちの、貴重なものが多く収蔵されております。「熊本に記念館があっても、肝心の収蔵品がレプリカばかりで、現物は東京などの美術館などにある」というパターンが多いものですが、こちらにはレプリカでない現物を多く見ることができました。

 

収蔵品としては、著名人からの手紙などもありますが、その差出人を見れば、与謝野鉄幹・晶子夫妻をはじめ、堅山南風、中村汀女、徳富蘇峰、徳富蘆花、安達謙蔵、朝倉文夫、若山牧水といった著名人が多く見られ、当時の交友関係の広さが伺い知れます。その他、写真、原稿、蔵書、古文書、短冊、掛け軸などが収蔵されておりました。

 

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入場料も200円ととても安くはいれて、よいものが見れるので、あまり知られていないのが残念でならないのですが…。なお、駐車場が2台分しかないので、ご注意ください。

 

後藤是山は、九州日日新聞社に記者として配属された翌年、東京の国民新聞社に留学し、徳富蘇峰(とくとみそほう)から直接指導を受け、東京の文化人たちから多くの感銘を受けたといいます。熊本に戻って復職したのちは、その経験を活かし、東京の著名な画家や俳人、歌人などを積極的に紙面に登場させるなどし、おおいに紙面を充実させ、熊本の人を驚かせました。

 

いまでは当たり前の紙面構成のように思えるかもしれませんが、当時の新聞というのは、「政治と経済、三面記事」で構成される、政党新聞の特色が見えるもので、俳句などの文学を紙面に載せるなどは軟弱だと思われるような時代だったのです。

 

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なお、実は後藤是山は大分県の久住町の生まれなのですが、実は久住町は江戸時代までは細川藩の領地(飛び地)だったところなのです。そのため、後藤是山は熊本人という意識を持っていたといわれていますね。

 

記念館の外観は、そこまで深刻なダメージを受けているようには見えませんでしたので、再開はそこまでかからないのではないかと思いますが…。再開を心待ちにすることとしましょう。後藤是山を知らなかった人は、これを機に覚えてくだされば…と思います。

 

※2/4 追記

2017年2月1日より、平常どおりの開館となったということです。

http://www.k-yokatoko.com/main/119.html