キリスト教解禁後、もっとも早く活動をはじめた大江天主堂を今回はご案内いたします。
小高い丘に立つこのロマネスク様式の教会は、フランス人宣教師ガルニエ神父が私財を投じて設立したといわれており、昭和8年に完成しました。(翌9年には、前回ご紹介しました崎津天主堂が完成しています。)
この白亜の建物の建築設計にたずさわったのは、崎津天主堂の建設にもかかわった、教会建築の父こと鉄川与助氏です。日本人の大工がヨーロッパ教会建築の技術を習得し建築したものであり、「天主堂」の作例として、近代建築史上、重要な建物であるとされています。
パアテルさん(「神父」の意)と呼ばれ、住人に慕われていたという、ガルニエ神父の胸像。「贅沢したら人は救えない」が口癖で、つぎはぎの司祭服をまとい、一般信徒と同じ食事をとって質素に生活していたということです。臨終の際には、「墓に金をかけるな。墓をつくる金は病人や困った人に与えてくれ」と厳命したそうですが、慕われていた神父様だけにそうもいかず、信徒は立派なルドヴィコガルニエ塔を作りました。
碑文
ルドビィコガルニエ神父様は1892年天草に赴任以来50年、大江崎津教会を兼任、後大江教会主任神父として、生涯を大江の地に埋められた。その間、私財を投じ大江天主堂を建堂し、住民に対しては信者未信者の別なく慈悲をたれ、自らは弊衣を纏い、己を犠牲にしてキリストの愛を実践し信仰の燈を捧げて下された。
この胸像は30年忌を迎えるに当たり、この偉大なる御功績を讃え、御遺徳を偲ぶと共に後世にその面影を遺し、信仰の精神振起にも資したいと念願し建立したものである。昭和46年11月26日
集落を見渡せる場所に作られたルドヴィコガルニエ塔。ガルニエ神父のお墓ですね。
ガルニエ神父は、天草に赴任して50年以上、ついに故郷フランスに帰ることなく、生涯を閉じました。祖国からは一時帰国費用なども送られていたのですが、それすらも天主堂建設に投じていたのでした。
教会敷地内には、ルルドの泉を模したものがありました。フランスにある奇跡的治癒をもたらしてくれる奇跡の泉で、今年になって70例目の「ルルドの奇跡」認定があったことがニュースになっていました。(坐骨神経症に伴う歩行困難をわずらった修道女が、ルルドを訪問後に劇的に回復し、それに対する医学的な説明がつかないとの医師団の判断を受けたもの)
1907年に発表された九州旅行記「五足の靴」の舞台ともなりました。
東京新詩社の主宰であった与謝野鉄幹が、まだ学生であった木下杢太郎、北原白秋、平野万里、吉井勇ら文学青年たちを連れ、九州各地を旅をした足跡を記録したものです。主にキリシタンの遺跡を見聞するための旅行であり、この旅のハイライトが「パアテルさん」こと、ガルニエ神父に会うことでした。
異国情調あふれるこの作品が、明治末期~大正の文壇に「南蛮趣味」の流行をもたらしたと言われています。
写真工房ひまわりさんの作品展が行われていました。東京から熊本に転居して、活動なされているとのことでした。
なお、12月上旬から1月上旬にかけては、夜間ライトアップが行われる大江冬祭りイルミネーション(電球5万個、17時30分~22時頃)もありますよ。