国指定史跡・池辺寺跡(ちへんじあと)~味生池の龍伝説

Googlemapより引用/池上小学校

 

新年明けましておめでとうございます。新年一発目は、おめでたく、龍伝説からスタートさせていただこうと思います!

 

熊本市西区・池上小学校の外壁には、大きな昇り龍が2匹いますね。この龍のオブジェ、西回りバイパスから見えますので、「あの龍の意匠はいったい何か意味があるのか・・・?」とそばを通るたびに不思議に思っていたドライバーもいるのではないでしょうか。あれは、この地区に伝わる龍伝説がもととなっています。

 

 

あの龍は、味生池(あじうのいけ)に住むとされる龍をモチーフにしたものです。『池辺寺縁起絵巻』(熊本県立美術館収蔵)によると、その龍を鎮めるために大和の僧・真澄が、百塚地区に寺院を建立し、悪龍の害を鎮めた、と伝えられています。

 

なお、味生池は加藤清正の時代に埋め立てられており、現在は住宅地になっています。上記図の推定地を見るに、かなり大きなため池だったようですね。

 

石塔

 

その、龍を鎮めるために建立された寺院が「池辺寺」でして、長らくはどこに存在していたかも分かっていませんでしたが、昭和33年の最初の現地踏査で寺跡の存在が予想されるようになり、昭和61年度に開始された発掘調査により、百塚地区にて寺跡が発見されました。

 

百塚地区は、古くから「開墾してはいけない場所」として言い伝えられていたということです。

 

百基の石塔跡

 

かつて百基の石塔が立ち並んでいたという石塔跡。この10×10の石積みが見つかったことで、池辺寺の特徴について現代に知らせる金子塔(かなごのとう)の碑文の記述と一致することとなり、ここが池辺寺跡であると特定されました。かつては、1つ前の写真のような石塔が、ずらっと並んでいたのだろうと思われます。

 

10×10の、壮大なる百基の石積みにどのような意味合いがあるのか?といったことについては、まだわかっていません。

 

 

本堂については復元はなされていません。おそらくは、外観の根拠となる資料が残っていないために、礎石の位置や溝の位置、当時の寺院の建築洋式などから形状を推定するしかない…ということではないかと思います。

 

上の模型も、あくまで復元案の1つだということです。

 

 

本堂跡。雨水を流す溝が作られているのがわかります。この溝の位置から、だいたいの本堂の規模が推測できるとのことです。

 

 

金子塔(かなごのとう)のレプリカ。池辺寺のことについて記述された碑文が刻まれており、本物はここから北西500mほど、西平山の山中にあり、鉄柵で四方を覆われ、損壊しないように保護されています。

 

 

まだまだ熊本にもわくわくするような史跡がたくさんあるということを、多くの方に伝えていけたらと思います。

 

本年も加来タクシーをよろしくお願いいたします。