熊本市中央区横手にある北岡自然公園。こちらはただの風光明媚な自然公園ではなく、熊本県民にとっては特別な意味を持つ場所であります。
肥後細川藩の菩提寺として知られる妙解寺跡がある自然公園で、歴代藩主の霊廟が保存されています。
なぜ、なにもないところに石橋が…?
はじめてここを訪れるかたは、頭をひねることでしょう。現在は川幅2mくらいの、ほとんど水が流れていない川が流れているだけですが、当時はこの石橋の長さが必要な川が流れていたということです。かつて川であった部分は、ご覧のとおり石畳となって、遊歩道として使われています。
事務所にて、チケットを購入。大人200円、子供100円となります。
妙解寺は初代藩主忠利を弔うために寛永19年(1642年)に建立されましたが、神仏分離令のあおりをうけ、廃寺となりました。その後は細川家北岡別邸と名を変えたのち、昭和30年に熊本市が寺域を譲り受け、公園として一般に公開されることとなりました。
背の高い木々に囲まれ、荘厳な雰囲気を感じることができます。すべての瓦に細川藩の家紋「九曜紋」が刻まれているのが、わかりますでしょうか。
九曜紋に関しては悲しいエピソードがあり、細川宗孝公が家紋の見間違えで殺害されてしまったということがありました。
延享四年、板倉勝該が後継者問題から、板倉勝清を殺害する計画をたてていたのですが、板倉勝清の紋「九曜巴」と細川家の紋「九曜紋」が遠目で見ると極めて似ていることから、見間違えで殺害されてしまったということです。これを受けて、見間違えられにくいよう、中央の大円から小円がはなれている意匠に改められることとなりました。以後、細川家の九曜紋は「はなれ九曜」と呼ばれるようになります。
経蔵跡。建物こそ現存していないものの、石垣も石橋も当時のまま残されているのですから、すごいことだと思います。当時は、この堀にも豊富な水が流れていたことでしょう。
霊廟につづく道添いにある石灯籠。形がすべて異なっていることから、異なる時代に1つずつ建てていかれたものと考えられます。
森鴎外・作「阿部一族」のモデルとなった、阿部弥市右衛門の墓も、ここにあります。
細川家霊廟のなかでも中央に位置する、細川忠利公室保寿院御廟(熊本県指定重要文化財)。細川忠利公は、言わずと知れた、初代肥後細川藩の藩主となった方です。細川忠利公霊廟の右側に位置するのが忠利夫人、左が4代光尚の霊廟で、忠利廟を簡略化したつくりとなっています。
桁行3間、梁間3間、一重方形造の本瓦葺き、覆鉢、宝珠付きで、組物は出組、二重繁垂木で、蟇股には九曜紋が施されています(現地案内板より引用)。
現在の熊本県の礎を作り上げた先人たちを、年の瀬に偲んでみるのも良いのではないでしょうか。
秋には紅葉も楽しめ、訪問時には一眼レフをたずさえたかたが写真を撮影されていました。風光明媚な公園としても現地では親しまれています。