徳富蘇峰が幼い頃に学んだ、兼坂止水の私塾跡をたずねました。熊本市民のかたには、百梅園という梅の名所として有名なところですね。
兼坂塾跡
兼坂止水は、細川藩士で学者、詩人として知られており、また明治四年(1871)家禄を奉還し、農事にしたがった藩士中第一号の帰農者としても有名である。梅をこよなく愛し、数多くの梅を植えたことからここを百梅園と名づけ、この地に塾を開き多くの子弟を教育した。徳富蘇峰もこの塾に学んだ。(現地案内板より)
兼坂止水が愛した百梅園の梅も、時代とともに枯れてしまったりして、だいぶ寂しくなっていたそうなんですが、島崎繁栄会を中心とした地元の方々が、20年という歳月をかけてここまで梅の木を寄付したりして梅の名園として整備されたそうです。
梅の見頃は3月中旬頃とのことで、取材に来る時期を間違えましたね・・・。
百梅園自体に駐車場はございませんので、石神山公園に駐車して、南側出入口から徒歩で降りてくるのがいちばん簡単かと思います。入り口を見落としやすいのでご注意を。上の写真のところから降りるのですが、案内板がとても小さいですので・・・。
叢桂園公園の駐車場にとめて、上っていく方法もありますが、叢桂園駐車場までの道はとても狭く、また駐車場が舗装されていませんので、特に雨天時は石神山公園がベターかなと思います。
細川藩剣術師範であった兼坂止水は、明治3年家禄を奉還して帰農し(帰農者第一号)、この地に翌年私塾・衆星堂を開き、さらに蔵春堂を設けました。これを一般的には「兼坂塾」と呼んでいます。
百梅園のある島崎という地は、江戸中期から別荘地として開けたところで、この地はもともと細川藩家老の米田松洞の別荘があった場所だということです。その後、兼坂氏の所有となったとのこと。
百梅園にはまだ梅の花は咲いていませんでしたが、よく手入れされていて、日の当たるじつに気持ちのいい公園でしたよ。