代継宮

 

「代を継ぐ」の名の通り、子授け・安産で知られる代継宮。

 

いかにも子授けに御利益のありそうな名前ですが、ところが創祀時のもとの名は、「四木宮」であったと言われております。そうです、読み方は同じでも、あてる漢字が異なっていたんですね。

 

 

当時はいまの花畑公園のあたりにあったと言われていますが、宮城の四隅に木を植えてあったことから、そのような名前がつけられたと伝わっております。幼くして細川家を継いだ細川綱利公が、「これ一に神徳の加護によるもの」として、「代継宮」に改称せしめたとのことです。

 

 

代継宮は花畑町から本荘3丁目、そして現在の龍田3丁目と場所を移っていきますが、こちらは本荘3丁目の代継宮跡です。加藤清正公が茶臼山に熊本城を築城するにあたり、

 

「尚城頭より見下ろすことは甚だ恐れ多し」

 

として、花畑町から遷座されました。ちょうど茶臼山の南麓にあたる場所であったため、神さまを見下ろす形になることを気にしたわけですね。花畑町の代継宮跡には、加藤清正が自身の邸宅を築き、その後、代々の肥後藩主の邸宅として使われつづけていきます。(現在は、花畑公園となっております。)龍田3丁目には平成元年に遷座されましたが、こちらは白川河川改修工事のためだということです。

 

 

曲水の小川では、平安時代の宮中行事を再現した神事「曲水の宴」が毎年行われています。

 

代継宮の鎮座1050年祭の行事として平成22年11月よりはじまったとのことで、当時の貴族の衣装を着た参加者が、上流から流された盃が自分の前を通過するまでに歌を詠むというものです。

 

 

主祭神は航海の守護神として知られる住吉大神(すみよしおおかみ)。子授け・安産の御利益なのに、航海の神さま?と思われると思いますが、これは臨月の神功皇后が航海に出た際に、その安産を助けたことがその由来となっています。

 

歌人の紀貫之公をお祀りするほぼ唯一の神社と言われています。「曲水の宴」が行われているのも、そのためです。

 

 

愛のはじまりの場所といわれる、天ノ浮橋(あめのうきはし)

 

古事記によると、天ノ浮橋は、イザナギノミコトとイザナミノミコトが降り立ち、おふたりで天の沼鉾を手に取り、日本の国をお造りになったと言われています。

 

縁結びを祈願するときと、良縁を希望するとき、悪縁を断ちたいときで、それぞれ渡り方が異なっています。写真は別れ橋側から撮影しているので、こちらから渡るのは、悪縁を断ちたいときですね。良縁を願いたいときは逆側から渡ります。

 

 

代継宮の片隅にあった、熊本地震で倒れた鳥居。

 

代継宮も熊本地震でおおきな被害を受け、鳥居は崩れたものの片足一本だけ残ったので、2017年5月にそれ以外の部分を修復したとのことです。

 

 

本年中は加来タクシーをご愛顧くださいまして、またホームページにご来場いただきまして、誠にありがとうございました。

 

来年もどうぞよろしくお願いいたします。