三賢堂は、政治家の安達謙蔵氏が熊本市民の精神修養の場として、昭和11年に建立した二重円筒のお堂です。熊本市民であれば、誰でも有料でイベントスペースなどとして利用することができますので、近くにお住まいの方は、来られたことのある方も多いのではないでしょうか。
職員は常駐しておらず、内部見学は事前に市文化財課に予約しなければならないということで、今回は中を見ることができませんでした。(残念!)
仕方なく、窓越しに撮影。中央にある一対の螺旋階段が見れました。内部には肥後の三賢人として、菊池武時(きくちたけとき)、加藤清正(かとうきよまさ)、細川重賢(ほそかわしげかた)の座像が安置されているのですが、窓からでは見えず。
安達謙蔵の旧居である原泉荘。書斎は備於斉(びおうさい)という名前がついています。昭和24年に遺言にもとづき熊本市に寄贈されました。
安達謙蔵像。済々黌で学んだあと、新聞社社長兼記者として、ジャーナリスト活動を行いましたが、政界に転身しました。第7回総選挙で初当選を果たしたあと、14回連続で当選し、徳富蘇峰から「選挙の神様」と評されました。逓信大臣や内務大臣などを勤めました。
安達謙蔵氏の著書「十年間の八聖堂」にも、三賢堂について触れてある記述を発見しましたので、最後にご紹介しますね。現代語訳を試みましたが、かなり意訳となっておりますことお詫びいたします。(間違いがございましたら、ご指摘ください)
八聖殿が落成したのち、私は直ちに三軒堂建立の準備に着手しました。もともと、我が故郷肥後熊本において、県民の最も厚い崇拝を得ているものは、菊池武時公、加藤清正公、細川重賢公の三賢であり、この方々の功績を子孫に伝えることをもって社会の改善に寄与したいというのが、三賢堂建立の目的です。
よって、1階には等身大の三賢座像を安置して、二階には八聖殿同様に大宇宙を象徴し、大榊州を表現する榊鏡を安置しておりまして、日中だけは公開し、参拝者には自由にお堂に出入りすることができるようにし、又、個人がお堂に座って瞑想を行ったり修練を行ったりすることも、あるいは多数の学生を引率したる各学校の諸先生が堂内に設けてある演壇を学校講堂の延長として使用し、講演をすることもできるようにしてあります。
(十年間の八聖堂/安達謙蔵より現代語訳)