田原熊野座神社に残る、西南戦争の銃弾跡

 

境内にある樹齢200年以上の杉の木から、西南戦争のときの銃弾が発見され有名になった、田原熊野座神社にお邪魔しました。

 

なんでも、2015年8月の台風で杉の木が倒れたため、伐採したところ、中から銃弾がいくつも発見されたということです。立ち木から100年以上前の戦争の痕跡が見つかるのは希だとのこと。

 

田原熊野座神社は、西南戦争における宮山争奪戦(1877年3月8日と15日)の舞台となりました。

 

 

もともと木から金属反応があることは分かっていましたが、外見からはわからず、今回伐採したことで銃弾が発見されることとなりました。伐採された杉の木は、このように雨よけをされた上で、境内の隅に置かれています。

 

 

金属反応があったところがいくつもくり抜かれています。金属反応があったのはすくなくとも21カ所、そして3方向以上から打ち込まれているということですから、その戦いの激しさの一端を垣間見る思いです。

 

 

伐採された杉の木の切り株です。東西南北を示すタグが埋め込んであります。

 

 

社殿からも銃弾が多数見つかったということでしたが、どこが銃撃跡なのかは、よくわかりませんでした。なお、社殿から銃弾が見つかった理由は、銃撃された境内の木を用いて建設したからということでした。

 

 

穴があいてる箇所はあるのですが、特にマーキングされているわけではないので、自然の虫食い穴なのか銃弾によるものなのかが分からないのです。

 

 

本堂のなかは結構きれいで、錦絵なども飾ってあったりして、住民のかたの憩いの場となっているのかなと思います。

 

 

明治三十六年 癸夘(みずのとう) 拾月上旬再建

 

・・・とありますので、鳥居は西南戦争当時のものではなく、1903年に再建されたもののようです。さらに平成28年にも鳥居の一部を補修されている模様。

 

 

 

たしかに、鳥居の貫(ぬき)の部位だけ真新しくなっていますね。

 

 

西南戦争遺跡 田原熊野座神社

田原熊野座神社は田原地区の鎮守の神社でした。神社一帯は明治10年(1877年)3月の西南戦争最大の激戦・田原坂の戦いでの「宮山争奪戦」の戦場でした。
熊野座神社付近一帯には薩摩軍が陣を構えていたと考えられ、政府軍は盛んに攻撃したようです。付近での戦闘は薩摩軍兵士の記録にもあり、陣地は「田原坂北之手松山台場」などと呼ばれていました。
戦跡の調査では、数多くの小銃弾や薬莢、四斤砲弾片などが見つかりました。薬莢の集中地点は南と北で加来にされ、文献も参考にして、北が政府軍、南が薩摩軍と推定しました。この間の距離は約60mで、中間には弾痕のある石塔もあります。また、鳥居近くの杉の木からも小銃弾や四斤砲弾片が見つかるなど、詳細で個別具体的な戦闘状況がわかりつつあります。

平成28年3月 熊本市教育委員会

 

 

こちらは田原坂戦争資料館の近くになりますので、資料館とセットでごらんになられるのをお勧めしております。