潮井水源のいま~布田川断層帯

 

益城町の震災遺構の現状を学びなおそうと、益城町在住の「熊本おもしろ観光ガイド」の永田幸一さんに同行いただいて、益城町杉堂地区の潮井水源にやって参りました。

 

杉堂地区は、熊本地震で猛威をふるった布田川断層の直上に位置しているため、壊滅的な被害を受けた集落で、住宅の建て直しや道路整備など、復興のための工事が各所で進められています。

 

 

熊本震災で崩落した潮井神社の石鳥居。

 

潮井神社本殿前には、地震後、長さ4メートル、落差70センチの断層が地表に現れたといいます。益城町はこの断層を文化財に指定、現在は防水シートがかけられ、保存が行われています。しかし、文化財保護の旗振り役となる益城町役場が、震災復興のため多忙を極めていることもあり、具体的にどのように保存していくか、どの範囲を保存するのかといった、具体的なプランが進んでいるわけではないようです。

 

 

根元から倒壊したご神木。

 

自治体の文化財指定につづき、文部科学省は布田川断層帯を天然記念物に指定する方針のようです。布田川断層帯は、熊本地震後、西原村、南阿蘇村などにかけて約31キロにわたって露出しました。熊本県は、断層や被災建物を「震災遺構」として保存・活用する方針のようです。

 

 

地域のかたの大切な水源となっている潮井水源の湧水は、震災後も枯渇することもなく湧き続けていました。水温は17~18度の清水が豊富に湧き出しており、コンクリート製の貯水槽にためられて、生活用水として利用されています。

 

この潮井水源にまつわる話がありますので、ご紹介しますね。(熊本弁がかなりきついですが・・・。)

 

潮井水源

この水源にまつわる面白か話があるたい。

文政6年(1823年)の春に、この杉堂に伊三次て言う百姓がおってな、自分の他のむぞさしゃ(可愛さに)、内緒で潮井の水源ば、深さ一丈(約3メートル)長さ百尋(約150メートル)ばかり掘って自分の田さん水ば引かしたたい。そるが潮井宮の神さんの気に障ってな、5月の中頃苗代時まじも、潮井の水の出らんな止まってしもうちな、ゆうと村中呆れち、時の郡代の里長(総庄屋)のにて訴え出た訳たい。それでその人たちが祭主となって、津森宮の宮司も共に寝食を忘れて、「大御心を和らげ給え、蒼生の為めに水を与え給え」て必死に祈らしたげな。そして、15日・16日・17日・18日と祈りに祈ってな、切り立つ崖かる水の吹き出して、太さ二丈(約6メートル)もある岩ば吹き離す勢いで流れ出し、轟々てい言うち下の井手も田も打つ流す如て流れ出したげな。こるば見て村中の百姓も村々の里長(庄屋)達も心から喜うじ、そるからいよいよこの潮井さんば、大切にする如てなったてたい。(津森宮社伝・益城町民話より)※益城町役場による立て看板より引用

 

 

割れてしまった徳富蘇峰誕生地碑。ジャーナリスト・政治評論家・歴史家と、いろんな顔を持つ徳富蘇峰ですが、上益城郡津森村の矢嶋家で生まれました。(津森村は合併して益城町となりました。)

 

 

母にあたる徳富久子は、熊本の四賢婦人の一人に数えられています。徳富久子の実家跡(矢嶋家跡)には、石碑が建てられています。

 

矢嶋家の建物は、老朽化のため昭和55年に取り壊されましたが、有志により一部復元し、四賢婦人記念館として利用されていました。この四賢婦人記念館もまた熊本地震により倒壊し、潮井自然公園内に移築される予定になっていて、すでに予定地は整地が進んでいるようでした。

 

 

潮井水源に隣接する、やまめ料理・神水荘。そうめん流しのほか、釣り堀などもあり、新鮮なやまめ料理が堪能できるお店だったのですが・・・、現在は休業状態だそうです。潮井自然公園の整備が進み、この潮井水源に人がまた集まるようになることを願います。