清浦奎吾記念館(熊本県初の内閣総理大臣)

 

熊本県の内閣総理大臣は?と尋ねられたら、多くの人が「細川護熙」と答えると思います。熊本の人にすらあまり知られていませんが、実は細川さんより先に熊本で総理大臣にのぼりつめた方がいらっしゃるんです!

 

明照寺

 

その名を清浦奎吾(きようらけいご)といい、明照寺という熊本県山鹿市来民(くたみ)のお寺で生まれました。(山鹿市との合併前では、鹿本町といわれていました。)

 

 

清浦奎吾記念館は、その明照寺の隣に建てられました。来民と聞くと、地名から、「来民うちわ」がぱっと思い浮かぶ人もいるかもしれませんね。以下、パンフレットに記載されていた略歴を引用いたしました。

 

  明治9年(1876)27歳  司法省に入り大審院検事局詰となる。

19年(1886)37歳  内務省警保局長となる。

24年(1891)42歳  貴族院議員となる 欧州視察

25年(1892)43歳  伊藤内閣の司法次官となる

29年(1896)47歳  松方内閣の司法大臣となる

31年(1898)49歳  山縣内閣の司法大臣となる

34年(1901)52歳  桂内閣の司法大臣となる

35年(1902)53歳  男爵を授けられる

36年(1903)54歳  農商務大臣となる

38年(1905)56歳  内務大臣兼任となる

39年(1906)57歳  貴族院議員を免ぜられ枢密顧問官となる

40年(1907)58歳  子爵を授けられる

大正3年(1914)65歳  組閣の大命を拝するも拝辞する

11年(1922)73歳  枢密院議長となる

13年(1924)75歳  組閣の大命を拝し内閣総理大臣となる 同年総辞職

15年(1926)77歳  中国視察(4回目)

昭和3年(1928)79歳  伯爵を授けられる

4年(1929)80歳  宮中杖を授けられる

16年(1941)92歳  内閣首班奏薦の重臣会議に出席する

17年(1942)93歳  熱海米寿庵にて没す

 

 

清浦奎吾伯は、嘉永三年(1850)2月14日、明照寺住職大久保了恩の五男として生まれる。漢学をはじめ広く学問を修めた清浦伯はわが国の法律制定に大いに貢献し、後に司法、農商務、内務大臣、枢密院議長を経て大正13年1月、内閣総理大臣となる。この記念館は、清浦伯の偉業を偲ぶとともにこれを顕彰し、後世に伝えるための記念館である。

鹿本町教育委員会(現・山鹿市教育委員会)

 

清浦奎吾伯が(鹿本地区以外で)熊本でそれほど有名ではない理由としては、在任期間が短かった、というのもあります。

 

清浦内閣は、貴族院議員を中心として組閣された、超然内閣(※注1)であったために、当時の衆議院から反発が起こり(これを第二次護憲運動といいます)、対抗勢力であった護憲三派に総選挙で大敗し、約5ヶ月で内閣総辞職することになりました。なにしろ、ときは大正デモクラシーのまっただ中。いまでは当たり前となっている「政党政治」や「普通選挙」を求める民衆の声とは逆行する組閣だったのだろうと思います。

 

※注1 内閣は政党の影響を受けずに行動すべきという考え方のもと成立した内閣のことです。当時は総理大臣は元老が選ぶものでしたから、衆議院は首相選出にまったくかかわれませんでした。

 

 

関東大震災直後の内閣でしたから、復興予算なども通したかったろうと思いますが、前述の理由から、予算先議権を持つ衆議院の支持がないために苦境に立たされたものと思われます。

 

 

清浦奎吾伯の生い立ちを記したパネルです。音声付きで解説をしてくれます。

 

大正13年、75歳の清浦奎吾は熊本で初めての総理大臣になった。官界歴50年あって出世栄達の道を極めたのである。身を田舎町からおこし苦学力行し藩閥も学閥も姻戚(いんせき)もないところから腕一本で総理大臣になった。親の教えの四恩(親、先輩、友、時世の恩をいう)を忘れず、清廉、潔白、高風清節の士としての生涯は誠に立派で、近年の政官の汚濁を聞くにつけ清浦奎吾の生き方が大変尊く思われる。

 

嘉永3年(1850年)鹿本町来民の明照寺。大久保了恩の五男に産まれ幼名を普寂(ふじゃく)といった。12歳の時、熊本市浄行寺の養子となったが青雲の心にもゆる彼は寺の法燈を継ぐ気にならず来民に帰る。16歳の時、父母を説得して日田(大分)の咸宜園の私塾に入門。ここは広瀬淡窓の塾で多くの英才を代に出した所である。普寂は苦学を続け都講という塾生最高の地位につき、塾生の代範を勤めるまでになって在園6年業成って意気揚々とふるさとの土を踏んだ。この頃に「清浦奎吾」と改名した。

 

23歳の時、彼は志を立てて上京し知り合いの埼玉県令をたより、埼玉県大教授心得に任ぜられ風渡野小学校の校長として教育に力を注いだ。役人として優れていてどのポストにいても上長に愛せられ、又十分に応える手腕を持ち合わせていた。(パンフレットより引用)

 

 

館長さんがお手すきであれば、展示物について解説をしてくださいますので、より理解がしやすいかと思います。パネルにはさまっているのが、鹿本名産の来民うちわですね。柿渋を塗った渋うちわは、虫に食われず丈夫で長持ちしますし、年を経るごとに色合いが深みを増していきますから、贈答品として人気があるんですよ。

 

渋うちわは、柿渋を塗ることにより、和紙をコーティングする役目と柿渋に含まれるタンニンの働きにより防虫効果があり、丈夫で長持ちするうちわに仕上がります.年とともに色合いが深みをおびていきますので、赤ちゃん誕生の命名うちわや古希・還暦・結婚引き出物等、贈答品・記念品・おみやげに最適です。

 

 

清浦伯が亡くなったときには、大きく新聞記事に掲載されました。そのときの熊本日日新聞(昭和委17年11月6日)が展示されていました。

 

 

館内では、清浦泊直筆の書状・掛け軸や、胸像、仕込み杖といった展示物を見ることができます。

 

 

清浦先生にまつわるビデオの上映もあるんですが、このときは次の予定もありましたので、残念ながらまたの機会に、となりました。映像で見たほうがより理解が深まりますので、ご来訪のかたは、なるべく長めに予定を組まれるといいかと思います。

 

■開館時間/午前9時~午後5時

■休館日/月曜日・国民の祝日の翌日・12月29日~翌年1月3日まで

■入館料 大人210円/子供50円(団体大人160円/子供40円)

■TEL 0968-46-5127