住吉自然公園・住吉神社(宇土)

たはれ島

 
三角大矢野海辺県立公園の一角にある、住吉自然公園を今回はご紹介いたします。公園内には、古くから航行安全の守り神とされた住吉神社や、 歌枕として知られる「たはれ島」(風流島)、 住吉灯台、ドゥルー女史記念碑 があります。

公園内には約1000株の紫陽花が植栽され、6月中旬の日曜日には、『~有明海の汐風とともに~紫陽花マンドリンコンサート』と物産展が開催され、多くの来訪客で賑わいます。

※新型コロナウイルス蔓延による緊急事態宣言前の取材です※
     

  
住吉神社鳥居あたりから、たはれ島を見たらこんな感じになります。周囲が0.1kmに満たないため、海上保安庁の発表している日本の構成島数6,852島には含まれない島となります。(※海洋法に関する国際連合条約では、島の定義に大きさを含めていません)

島の頂上には、住吉神社と書かれた、高さ1.3mの小さな鳥居が建ちます。

伊勢物語、枕草子にも詠まれた有名な島で、地元ではたばこ島と呼ばれているようです。1000年前になぜこんな小さな岩礁に近い島が歌に詠まれるほど有名であったか?は、当時の主要交通手段であった船の航路に理由にあるようで、有明海から緑川にはいっていくルートが熊本入りに使われていたようで、このへんの海域は当時の海上交通の要衝であったようです。
  

  
住吉神社(宇土市)は、 肥後国司であった菊池則隆が、 延久3年(1071年)に摂津住吉宮の分霊を勧招し、海上安全の守護神として創建したのがはじまりだと言われています。

戦国時代に社殿は失われましたが、細川綱利により再建され、以後は肥後三大社として細川家代々の崇拝を受けました。熊本藩主の参勤交代などの航路となるため、航路安全を祈願したとされます。
  

  
日本最古の灯台があったとされる住吉灯台。

享保9年(1724年)当時は、細川宣紀が寄進した高さ10mの高灯籠がありましたが、明治初期に石積みが破損して取り壊しとなったため、現在見られるのは昭和60年に改築されたものです。
  

  
イギリスの海藻学者、ドゥルー女史記念碑。1963年、有明海の海苔養殖業者が寄付を募って建立されたものです。

ドゥルー女史 は、海苔の糸状体を発見し、人工採苗技術の発達に貢献した人物で、海苔養殖の母と言われています。いかにも日本独自の食品らしい海苔の発展に、イギリス人がかかわっていたとは驚きですね。

住吉神社大祭の開催期間中の月命日である4月14日には、毎年ドゥルー祭が開かれています。
  

  
住吉神社石段。

慶長年間、宇土城主小西行長により社殿が焼き払れたため、以後50年間は岩崎山に仮社殿を建てて祭典を行っていたそうです。
  

  
徳川忠利が島原の乱の戦勝祈願をしたところ、抜群の功績をあげたため、これ以降、細川家の守護神と仰がれることとなり、細川綱利により再建されることとなりました。
   

  
住吉神社は高台になっており、たはれ島をはじめ宇土の干潟を上から見下ろすことができますよ。
  

御輿来海岸 展望所

  
熊本市から国道57号をたどって車で天草に向かうと、宇土のあたりできれいな御輿来海岸が眼前に拡がります。

もちろん車窓から見てもじゅうぶん綺麗なこの景色、せっかくなので高いところから見たいと思いませんか?今回は、 御輿来海岸展望所をご案内いたします。
  
  

  
文末に地図を掲載していますが、離合もむずかしい道を通らないといけませんので、運転に不慣れなかたは怖いかもしれないですね・・・。くれぐれも注意して走行なさってくださいね。
  

  
御輿来海岸の名前の由来は、景行天皇の九州遠征の際、三日月型の砂紋の美しさに御輿を止めて魅入られたという伝説からつけられたといいます。
   

   
景色が美しいですので、絶好の撮影スポットとなっています。特に夕日の光景は絶景で、夕方になるとその瞬間を撮影しようと多くのカメラファンが集まります。

なお、展望所での一脚ないし三脚をたてての撮影、場所取りなどは、まわりに迷惑となりますため、禁止となっていますので、ご注意くださいませ。
  

  
おこしき月弓の鐘。日本神話にでてくる月の神様「月弓の尊」から命名されました。砂紋が三日月形であることから、月の神様の名前をつけたみたいです。 
  

   
干満の差が激しい有明海で、この遠浅の海岸だからこそ現れる、波と風が作り出す自然の芸術品といえるでしょう。
  

  
先日ご紹介した網田駅カフェも近くですので、お昼はそちらがおすすめですよ~
  


網田焼の里記念館

   
宇土市網田焼の里資料館をたずねました。

格調高い白磁器で知られていた網田焼は、かつて御用窯にも指定されたこともあるのですが、御用釜中止となってからは凋落の一途をたどり、現在では窯跡が残るのみで、途絶えてしまっております。
  

    
網田焼の陶磁器の数々を拝見できるほか、280年前からこの地に残る、中園家の武家屋敷を見学することができます。

中園家は肥後細川藩において御山奉行と窯奉行を兼任し、網田焼を統括管理した伝統のある家柄となります。敷地面積はおよそ1000坪、木造の武家屋敷は100坪もあります。
  

   
江戸時代当時の建築様式はたいへん興味深いものです。真壁の和室に、天袋付きの床の間というのも、いまではなかなか見かけないような気がします。よく見ると長押に槍掛け(?)のようなひっかかりも・・・。

火鉢や刀掛台などもいまでは珍しいですよね。
  

  
江戸後期に建てられた中園家屋敷には、陶磁器のみならず、歴史的価値のある古道具類なども多数展示されています。
   

 
中園家屋敷はもともと老朽化による雨漏りなどが問題となっていましたが、平成3年の台風19号でついには大きく屋根が損壊してしまい、長期保存には憂慮すべき状態となっていました。 
  

  
これら貴重な民俗資料を後世に残すべく、宇土市により「網田焼の里資料館」として整備することが決まりました。
  

   
かつて蔵があったところに、資料館が整備されておりますが、残念ながらそちらは写真撮影不可でしたので、ご紹介できるのはここまでとなります。

新型コロナウイルスにより、一時休館している可能性がありますので、訪問する前には一度ご確認なされたほうがよろしいかと思います。
  

粟嶋神社~日本一小さな鳥居

   
粟嶋神社は、熊本の地元テレビなどでもよく紹介される、小さい鳥居くぐりの神社です。訪問当時、外国人観光客の方々が多数訪れてにぎわっていました。

ちょうど、ひな祭り直前に訪れましたので、ひな祭りの準備がされていました。イベントのため特別に用意される、金色の小さい鳥居をくぐれるチャンスでもあります。
  

   
祭神である少彦名神(スクナヒコナノカミ)は小人神であり、一寸法師のモデルにもなりました。だからこその小さい鳥居というわけですね。
  
小さい神様ながら、大国主の国づくりにも登場する、国造りの協力神でもあります。その他、常世の神、医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造・石の神など多様な性質を持ちます。
  

    
粟嶋神社の境内には、縦・横30センチの石造りの鳥居が三基ありますが、「 腰延べ鳥居 」といって、農作業で痛めた足腰の痛みが和らぐ神徳があるとされます。

その他、 心身の病気 平癒・子授け・安産・良縁・厄除け・災難除け・諸業繁栄などに霊験あらたかとの言い伝えがあります。
 

   
現在くぐることはできませんが、1814年に奉納された、歴史ある小さな鳥居も残されています。

当時、重い病に苦しまれた方が、医薬の祖神として霊験あらたかな粟嶋大明神のご神徳にすがり当神社で御祈祷を受け、熱心に信仰されたところ、奇跡的に病が完治しました。そこで病気平癒のお礼に感謝をこめて他に比類なく永久に残るものをと奉納されたものです。
  

  
粟嶋神社由緒略記

寛永10年、 この地に住んでいた老夫婦の次衛門とその妻が住んでいましたが、その元を訪れた、粗末な身なりの旅の僧侶に一夜の宿を提供したところ、その夜、妻の夢に粟嶋大明神が現れました。

「我は粟嶋の神なるぞ、信心深き汝等に幸を授けん。」

翌朝、旅の僧侶は 「私はこのように貧しい旅の者、にもかかわらず、昨夜からの心のこもったおもてなし、まことに有り難く存じます。」 と言い残し、立ち去りました。僧侶の枕元には1体の神像がおかれており、驚いた老夫婦はあわてて僧侶を追いかけましたが、僧侶の姿は見当たりませんでした。

老夫婦は昨夜のおつげを思い出し、これこそ少彦名命(すくなひこなのみこと:粟嶋大明神)に相違ないと想い、粟嶋大明神に見立ててそれを祀ったのが起源と伝わります。

   
御燈明は、ろうそくに灯りを燈すことで大神様の御照覧を仰ぎ、線香を焚き、その煙で体全体さすり、身についた一切の罪穢れを払い除き、大神様の尊き御加護(ご利益)を授かるためのものです。

  
世の中が新型コロナウイルスによりたいへんな情勢となっておりますが、みなで協力して乗り越えていきたいですね。 
    

駅舎カフェ「網田レトロ館」

季節のオムカレー


熊本県最古の駅舎「網田駅駅舎」のなかに、古民家風に仕上げられたオシャレなカフェがあることをご存知でしょうか?
   

 
駅の備品や、小学校の机等を活用して、レトロな雰囲気に仕上げられています。木造建築物のもつ、木の温かみを感じます。
  

 
案内されたテーブルから、駅の事務室が丸見えなんですね・・・。みなさん、駅の事務室を後ろから見たことあります?わたしはありませんでした!
 

  
ちょうど電車が通過する時間帯でした。 通過する電車を見ながらランチがいただけるのがまた、乙なものですね。駅のホームから直接店舗にはいってくることができますし、店舗から駅構内に出て行くことも可能です。
  

   
昔の運賃箱や、看板類がそこかしこに展示されています。
 

  
こちらに勤務されている店員さん達は、普段はこの近くで農作業に従事されていらっしゃる方々のようでした。
 

  
なお、営業は土日祝日のランチタイムに限定されていますので、ご注意くださいね。
   

熊本県内最古の駅舎・網田駅

  
明治32年より現存する、熊本県最古の駅舎、網田駅をご紹介いたしましょう。国登録有形文化財(2014年12月19日登録)としての名前は、「JR三角線網田駅本屋」といいます。
  

 
JR三角線は、宇土駅から三角駅に至る全長28.2kmの私鉄路線(九州鉄道株式会社)であります。開業当時、門司-三角間が本線の位置づけであり、宇土-八代間のほうが支線でした。
 

  
三角線には9つの駅がありますが、開業当時からの駅の本屋(駅舎)が現存するのは網田駅だけです。県内最古の駅舎であり、九州でも2番目に古い駅舎となり、九州における貴重な近代産業遺産の一つに数えられています。
  

 
駅舎の施工は、当時、間組の下請けとして三角線の工事に従事した西松桂輔氏(西松建設創業者)が関与しているとされています。

駅舎の設計は、当時の九州鉄道株式会社の技術者のようですね。
 

 
なお、現在、網田駅は、 NPO法人網田倶楽部が指定管理者として 駅舎管理や切符販売を行っています。

駅舎の一部では、網田レトロ館という土日祝のランチタイムのみ営業している駅カフェも営業しております。次回は、網田レトロ館をご案内させていただきますので、お楽しみに~!

緑川ダム その3

  
緑川ダムの内部。日常ではあまり見ない、急勾配かつ長い階段です。「ここまで急勾配だと、ときどき転落する人がいたりしませんか?」とつい聞いてしまったほど。手すりもあるので、実際のところそんな人はいないそうですが。

階段脇には、浸入した水を排出するための水路が設けられていて、絶えず水が流れていってました。
   

   
緑川ダムは幅295m、高さ76.5mですので、高さでいうと熊本城2個分あるんだって。通路も果てしなく長いです・・・。

スケールの話でいうと、ダム湖の貯水量は、 福岡PayPayドーム26個分(4600万立方メートル)だそうですよ。
   

  
洪水時の放水施設である、オリフィスゲート。ダム中央部に位置し、高さ6.3m×幅6.2mの3門のゲートです。最大で毎秒2000立方メートルの放流が可能なんだって。
  

  
オリフィスゲート3号機を見下ろしてみる。1門でこの圧倒的スケール感・・・。なお、この写真でわかっていただけるか不安ですが、水が流れていく放水路はアーチを描くようになっていて、それに沿って水が流れていくのだそうです。
  

  
オリフィスゲートの制御盤。

緑川ダムには、3門のオリフィスゲートとは別に、クレストゲートという、高さ13.6m×幅8.4mの非常用ゲートが堤体上部に左右2門ついています。これはオリフィスゲートだけで放水が間に合わないというときの非常用ゲートになっていて、いまのところクレストゲートを使用する状況に陥ったことはないのだそう。
   

ダムの底部から、上部を見上げてみる。右に見えるのが、水力発電用の送水管で、左に見えるのがオリフィスゲート。
  

  
ダム直下と下流3kmの地点に設置された3つの水力発電所において、最大35140kw、年間では36000世帯に相当する電力を生み出すことが可能となっています。

奥に見える水力発電所は、改修工事を行っている最中のようでした。
     

  
熊本を洪水被害から守り、農業用水を供給し、電力を生み出している緑川ダム。普段意識することがないダムという存在ですが、一度無料のダム見学をして、われわれの生活にどのように役立っているのかを見てみてはいかがでしょうか。

緑川ダム その2

  
緑川ダム編、今回はついにダム内部の見学にまいります!

座学が終わり、 みどりっ湖情報室から屋外に出てみると、緑川ダム管理所の擁壁に、可愛らしいくまモンがあしらわれているのが見えました。

     

     
これ、なんとコケで描かれているんですね!

高圧洗浄機で図柄の部分だけを残して洗い流したんだとか。このサイズでやるには、なかなかの大仕事になりそうですね。
  

  
ダム上部が道路も兼ねていまして、その緑川ダム堤道路を歩いて、ダムに向かいます。

ダム湖である肥後みどりかわ湖では、岸辺でダムフェンス(網場)に漂着した流木などを撤去する作業をしていました。 湖面に浮かぶ三角形のものは、湖水浄化設備のようです。
  

  
ダム堤道路から見た、緑川ダム。

オリフィスゲート(洪水時の吐水口。写真中央の三角状の部分。)がすこしだけ見えます。

ダムが巨大すぎて、ダム全体がはいるように写真撮影をするならば、離れたところから撮影しなければなりませんね・・・。
  

  
ここからダム内部にはいっていきますよ~!
  

  
エレベーターで降りていくのですが、ダムの高低差がわかるように、階数表記とは別に地上から何メートル下がっているのかを表記してくれていました。
  

中はさながらダンジョンのよう。
続きは、その3で!

緑川ダム その1

緑川ダム その1

緑川ダムは、 重力式コンクリートの主ダムと、ロックフィル式の脇ダムの2つのダムで形成されており、主ダム上流側に 肥後みどりかわ湖を形成しています。 昭和46年(1971年)3月に完成し、4月から緑川ダム管理所において維持管理を行っています。  

   

霊台橋の近くに位置していますので、石橋見学などで美里町を訪れる際には、ぜひ緑川ダムも見ていって欲しいスポットです。

今回は時間の関係上、主ダムのみの見学となりました。
  

    

  
2週間前に予約が必要 ではありますが、平日の9:00~16:00であれば、無料で見学ツアーを組んでいただけます。まずは、 みどりっ湖情報室 にて、スライドを使った概要説明があります。史跡など歴史知識については、自信があるものの、ダムのことはあまり考えたことがありませんでしたから、ここぞとばかりにたくさん質問をしました。
  

見学時間の目安(70分程度)

  • ダムの概要説明‥20分程度(みどりっ湖情報室2階)
  • ダム堤体の上からの見学‥20分程度(説明有り)
  • ダム堤体内見学‥‥30分程度
        

  
緑川ダムは緑川の洪水調節を主目的に、かんがいと発電の機能を併せ持つ多目的ダムとして建設されたことなどを説明されました。
  

ダムカード・緑川ダム

学習のための配付資料とともに配布されたのが、噂に名高いダムカード!Gの文字は、重力式ダムであることを示しています。いまはダムカードを集めている人もいるようですね。
   

  
座学がひととおり終わったら、とうとうダム内部の見学に行きますよ!つづきはまた来週!

霊台橋

熊本県美里町にある霊台橋を今回はご紹介いたします。

昔の街道名でいうと日向往還に架けられた橋で、明治以前に架橋された単一アーチ式石橋としては、日本一の径間(=橋脚間の長さ)を誇ります。

ここは船津峡と呼ばれる川の流れの速い難所で、この石橋が架橋されるまでは、木橋が増水するたび流されてしまい、住民は困っていたそうです。
  

この橋のすごいところは、昭和41年5月に新霊台橋が架橋されるまでは国道橋としてバスやトラックがこの上を通行していたということです。(写真左の緑色の橋が、新霊台橋)

明治33年に県道の一部となりましたが、そのときに石橋の上にさらに石垣を積んで、石橋を平らにし、自動車が走行できるように改良されました。車道としての役割を終え、歩道橋となった現在は、もとの姿に戻す工事が行われ、架橋当時の姿に復元されています。
  

いまでも国道橋であった時代の名残りを見ることができます。階段は復元工事のときに作られたものですが、石垣部分は国道橋時代の状態であると思われます。階段を上りきったところが、国道橋時代の橋の高さであったということですね。
  

霊台橋の緑川左岸には、内大臣森林鉄道の隧道跡が残っています。写真中央下に見えるトンネルですね。大正4年から昭和37年まで運行されていた路線で、甲佐駅から山都町の貯木場を結んでいました。
  

れいだい
霊 台 橋(国指定重要文化財)
緑川本流の最大の難所、船津峡に架けられた日本一の単一アーチ式石橋です。

この橋は、1847年(江戸時代末期)に、当時の惣庄屋 篠原喜兵衛のもと、
種山石工の卯助兄弟、大工の棟梁の伴七、さらには、近在住民の総力を結集
して完成したものです。

橋の前兆約90cm、アーチのスパン27.5m。昭和41年に上流の鉄橋が
架けられるまでは、この石橋をバスやトラックが走っており、人を渡し、
物資を渡し、文化を渡していた。
環境省 熊本県(現地案内板より引用)
 

名前の由来ですが、「霊台」とは物見台の意味であり、心霊的なものとはいっさい関係ありません。

大勢の大工や農民の協力のもと、工期が6~7ヶ月程度とありえないほど早期に工事が終わったことが、中国の古典「孟子」の中での霊台建設の話に類似すると考えた篠原善兵衛が、故事にあやかり「霊台橋」と名付けたそうです。
   

近くにある緑川ダムも無料で見学できますし、美里町は石橋も多いですので、緑川ダム見学とセットに石橋ツアーというのはいかがでしょうか。