人吉鉄道ミュージアム MOZOCAステーション868

MOZOCAステーションの1F

 

人吉駅に隣接した鉄道博物館「MOZOCAステーション868」。明治から続く肥薩線の歴史を楽しみながら学べる空間になっています。

 

「もぞか」とは、熊本の方言で「小さい」「かわいい」といった意味ですが、その名の通り、小さいお子さんを遊ばせるにはうってつけの施設です。ここなら子どもたちが飽きずに遊んでくれるだろうな、と思います。入館料も無料となっております。(ミニトレイン、レイルバイクは1回200円)

 

MOZOCAステーションのミニトレイン

 

館内の『もぞか駅』から、屋外の『人吉駅』まで行ける、人気のミニトレインに乗って遊ぶ子どもたちと、それを見守る親御さんたち。1時間に1~3本が運行されています。運行5分前からチケット販売が開始され、完売したときには臨時便が出るようになっていますよ。

 

なお、雨天時は屋内を3周するコースに変更されるので、雨天時にもお楽しみいただけます。このミニトレイン、子ども用かと思いきや、大人のかたも結構乗られる方が多いようで、肥薩線の線路と併走する形になるために、運がよければSL人吉と併走することもできますね!

 

 

軽食スペースでは、ソフトドリンクやコーヒー、アルコール類、ソフトクリーム、スイーツ、パンなどがあります。飲食物の持ち込みは可能になっていますが、一部、飲食物の持ち込み禁止エリアがありますのでご注意ください。

 

 

1Fには、ジオラマ展示や映像鑑賞・展示スペース、プラレールや木のプールのある子どもスペース、ミニトレイン、水遊び場などがあります。

 

人吉機関車庫

 

2Fには、レイルバイクや図書館、学習スペースなどがあります。屋上は展望デッキとなっています。

 

この2Fからは、日本国内で唯一の石造車庫を見下ろすことができます。明治時代の建造物で、現在でも車両停泊や、列車の清掃・給油・洗浄・留置などの役割を果たしています。この中をSL人吉が通過していくさまは、とても絵になりますよ。

 

 

MOZOCAステーションを離れて、人吉駅に来てみました。JR九州(肥薩線)の駅であるほか、くま川鉄道(湯前線)も共同使用している駅となりますが、くま川鉄道としては「人吉温泉駅」と称しています。

 

右側に見えるのが有名なからくり時計。人吉城のお殿様が、城下見物を行うというストーリーが、民謡にのせて展開されていきます。9時~18時の毎時、3分10秒にわたって動作します。(11月~2月は17時で終了)

 

 

訪問時期は、プレイステーション4用ゲームソフト「まいてつ」とのコラボイベント「人吉まいてつ祭2019」が開催間近の時期でした。まいてつはSLをテーマにしたゲームソフトで、シナリオライターの進行豹氏がユーザーを集めてくま川鉄道を走らせた縁で、コラボが実現したようです。

 

鉄道ファンのみなさんも、ぜひ人吉にいらしてくださいね。

 

国宝 青井阿蘇神社

青井阿蘇神社楼門(国宝)

 

人吉市の観光ということであれば、熊本県で初の国宝となった※、青井阿蘇神社ははずすことはできないでしょう。創建806年(大同元年)ですから、実に1200年の歴史があります。

(※国宝指定を受けたのは、本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門の建造物5棟と、本殿内にある造営時の棟札1枚と銘札5枚。)

 

こちらの楼門も国宝指定建造物の1つ。桃山時代の華麗な装飾を取り入れた寄棟造茅葺の門です。

 

青井阿蘇神社楼門の神面

 

楼門屋根の隅に、神面が取り付けられているのがわかりますでしょうか。このようなところに神面を取り付けるのは全国でも例がなく、京都大学矢崎美盛教授が著書「様式の美学」で人吉様式と名付けました。

 

神面は楼門屋根の四隅にあり、それぞれ陰陽一対(阿・吽の形相)で設置してありますから、計8つの神面がとりつけてあります。陰陽一対は、荒魂(あらみたま)を陽で、和魂(にぎみたま)を陰で表現しているとされます。

(荒魂、和魂は神道における概念で、神の霊魂が持つ2つの側面のこと。荒魂とは神の荒々しい側面を、和魂は神の平和的で穏やかな側面を指します。)

 

青井阿蘇神社禊橋(登録有形文化財)

 

青井阿蘇神社の門前にかかる禊橋(みそぎばし)。朱色の欄干が目を引きます。架橋時期は大正時代の1921年で、蓮池に南北に架けられたコンクリート造の三連アーチ橋で、県内に現存する最古のコンクリート橋梁とされています。

 

6~7月ごろには、池いっぱいに広がった蓮の花が見頃をむかえるそうです。

 

青井阿蘇神社の鳥居

 

国宝 青井阿蘇神社

平安時代の大同元年(806年)阿蘇神社の分霊を勧請(かんじょう)して創建されました。鎌倉時代初期に相良氏が遠江(とおとうみ、いまの静岡県)から当地へ入国してからは氏神としての崇敬を受け、地域色を強めてきました。

現在の社殿群(本殿・廊・幣殿・拝殿・楼門の五棟)は慶長15年(1610)から同18年にかけて人吉藩主の相良家20代長毎(ながつね)の命により造営されたものです。

社殿の特徴は、楼門に代表される急勾配の茅葺屋根や軒から下を黒漆塗としつつ、組物や部材の面に赤漆を併用する技法など人吉球磨地方の独自性の強い意匠を継承する一方で、彩色や錺(かざり)金具などは桃山期の華麗な装飾性を取り入れており、その後の倒置法社寺造営の規範となっています。

また、廊の龍にみられる秀麗な彫刻や特異な幣殿殿形式は、広く南九州地方にその影響を与えたとされています。

平成20年6月9日、県内に現存する文化財としては初の国宝に指定されました。

【現地案内板から引用】

 

青井阿蘇神社拝殿

 

青井阿蘇神社の国宝としての価値がどこに見いだされたかというと、5つの統一的意匠を持った社殿群が、慶長年間に一連のものとして造営されていることが1つ。全国的に見ても、一連の建造物群が同一年代で統一されていることは希だからですね。

 

また、青井阿蘇神社の社殿は、中世球磨地方特有の独自性の強い意匠を継承しながらも、桃山期の意匠を意欲的に取り入れるなど完成度も高く、近世球磨地方における社寺造営の規範となっていることも評価されているとされます。

 

 

青井阿蘇神社の平面形式の特徴は、T字型になった拝殿の形式にあります。人吉球磨地方で見られるL字型は、拝殿の右側に神供所(じんくしょ)を設けるものですが、青井阿蘇神社ではさらに左側に神楽殿があります。

 

青井稲荷神社

 

境内社は現在、稲荷神社、興護神社、宮地嶽神社、大神宮の4神社となっていますが、かつては10社以上もあったとのこと。

 

 

青井阿蘇神社ご神木のクスノキ。郡市最大の楠で、人吉市指定天然記念物(昭和33年指定)となっています。樹齢は不明ですが、樹高21.5mとかなりの高さで、長い月日を感じさせます。

 

 

おくんち祭、夏越祭、稲荷神社の初午の三大祭をはじめ、さまざまな祭りが催されています。特におくんち祭りはかなり盛大に行われていますので、祭りの時期にあわせて訪問なされるのもいいですね。

 

人吉城跡(国指定史跡)

水ノ手門西側長塀

 

昭和36年に国指定史跡となった人吉城は、相良氏初代当主の相良長頼が築いたとされる名城で、別名を繊月城といいます。

 

現在では当時の建造物は残っておらず※、石垣と土塁だけで、あとは記念館が建てられていますが、それだけでも見る価値があると思わせる規模です!!2万2千石の大名のお城と思えぬ広さです。日本百名城の1つに選定されています。

※平成15年度から平成19年度にかけて行われた、史跡等総合整備活用推進事業により、塀や櫓、石垣などの修繕や復元が行われました。

 

間米蔵跡

 

相良長頼が鎌倉時代に人吉の地頭として赴任して以来、35代670年の長きに渡って在城しました。

 

長頼が人吉に下向した当時、人吉城は平頼盛の家臣である代官・矢瀬主馬佑が城主でしたので、長頼は城の明け渡しを命じました。しかし長頼は城を明け渡さなかったため、大晦日に鵜狩りと言って誘い出し、殺害したと言われています。正治元年(1199年)の正月に長頼が入城し、以後は相良氏の居城となりました。

 

人吉城の武者返し

 

槹出工法(はねだしこうほう)を用いた武者返し。西洋式築城技法と言われていて、西洋式城郭では採用例はあるのですが(五稜郭、龍岡城など)、旧来の城郭で採用されたのは人吉城のみです。

 

 

相良長頼の築城とはご紹介いたしましたが、山城としての本格的な築城は12代当主の相良為続のときになります。

 

 

そして、いま見られるような石垣造りの近世人吉城としたのは20代当主の相良長毎と言われていて、豊後から石工を招いて改修を行いました。

 

 

久々に人吉城にのぼりましたが、なかなかにハードで、運動不足の身にはこたえます・・・。ご覧のとおり、勾配が急なところや、滑りやすいところもありますので、必ずスニーカー着用の上、長袖長ズボンで登られるようにお願いいたします。

 

堀合門(復元)

 

人吉城はほとんど他家に攻められたことがないのですが、家督問題で内訌が生じていた1526年、日向真幸院を治めていた北原氏に攻められ、策を弄し撃退したのが唯一の出来事と言われています。

 

中御門跡

 

35代670年にわたって相良氏が人吉城主たりえたのは、歴代当主の立ち回りの見事さがあるのかと思います。1600年の関ヶ原の戦いでは、当初は石田三成方(西軍)に従軍し、伏見城などを攻めたのですが、石田方が敗れるとみると徳川方に寝返り、戦後、徳川家康より2万2千石の領地を安堵されることとなります。

 

本丸への登城道

 

本丸には本来は天守が築かれるものですが、人吉城では天守のかわりに護摩堂が築かれました。

 

 

護摩堂があったであろう本丸。現在では人吉城下町が見下ろせる展望所のような場所になっていました。

 

「城跡なんて見てもね・・・」という人も、だまされたと思って一度登ってみて欲しいと思います。建造物が残っていないためになおのこと長い歴史に思いをはせられる、浪漫を感じさせる素晴らしい史跡であると思いました。

 

人吉城歴史館~相良清兵衛屋敷の謎の地下室

 

人吉城歴史館では、人吉城や相良藩の歴史を学べるのはもちろん、最大の見どころは全国的にも珍しい、水が湧き出る謎の地下室

 

平成9年の発掘調査で見つかったという謎の地下空間、それが相良清兵衛という家老屋敷の地下にあったということまでは判明していますが、それが何のために作られたのかは、はっきりしていません。

 

 

普段は施錠されていますが、職員さんに声がけをすると鍵を開けてくれて、ガイダンスに来てくださいます。

 

この地下室の謎の判明が難しい原因は、まずこの件に触れた古文書や古記録がないこと。また、全国の発掘調査でもこの地下室と同様の構造を持つ地下室が発見されていないこと。

 

そこで、地下室底で見つかったスギの板材に対し、放射性炭素年代測定法を用いて、このスギが伐採された年代値を算定することで、地下室が作られた年代を探ろうと試みられました。この結果、スギの年代が分かり、その時代にその地下室が発見された敷地を使用していた相良清兵衛の地下室であろう、ということになったようです。

 

 

6m四方の大きさで、深さは約3.2m。布目積みという石積み方法で、出入り用の階段が2つあります。

 

相良清兵衛屋敷は、寛永十七年の「お下の乱(おしものらん)」によって消失していますが、「お下の乱絵図」によれば、屋敷内にあった持仏堂の地下室である可能性が高いとのことです。お下の乱のときは、この持仏堂は犬童半兵衛一派の隠れ場所になったそうです。

 

 

床の一角には途中まで石段がついた水深2.3mのおおきな井戸。この井戸の底からは、刀が出土しています。

 

用途はいまだ断定されておらず、貯水場、井戸、風呂場、キリシタンに関する施設、沐浴の施設など、さまざまな説が唱えられていますがどれも断定には至っていません。

 

持仏堂の地下にあったことから、持仏堂の護摩祈祷に関連する行水、沐浴といった何らかの宗教行為を行う場所であった可能性もあります。

 

 

この地下室の発見後、相良清兵衛の嫡男である内蔵助の屋敷跡からも、同様の石組の地下室が見つかりました。この地下室は、清兵衛の地下室の東に120mほどの場所に位置しています。

 

 

地下室遺構から出土した石造物群。

 

相良清兵衛は、相良家第20代当主相良長毎から相良の姓を与えられるほど、相良藩に貢献し活躍した人物ですが、あまりに権力を持ちすぎて、人吉藩主さえないがしろにするような行動が見られるようになり、次第に人吉藩主との折り合いが悪くなっていきました。

 

 

その後、第20代当主長毎の死後、第21代藩主頼寛に「清兵衛に専横の振る舞いがある」と幕府に訴えられ、江戸に召喚されることになります。これは第20代当主が遺言で、「清兵衛の横暴が振る舞いが目に余るので、機を見て罰せよ」と指示していたことを受けてのものです。

 

その間、人吉で相良清兵衛の息子、犬童半兵衛を中心とする一族に謀反の嫌疑をかけられ、一族121人が殺害され、もしくは自害するというお下の乱が起こりました。

 

相良清兵衛は幕府評定所で数回にわたる審議をうけ、その結果、津軽弘前藩への流罪が決定しました。その後16年間弘前で生活したのちに人生を終えました。

 

 

地下室遺構以外にも展示はたくさんありますよ!

 

内蔵助の屋敷跡の地下室もすぐ近くですので、いっしょに寄っていかれるといいですよ。

 

人吉・鍛冶屋町

 

今回は人吉の鍛冶屋町をご紹介いたします。名前のとおり、鍛冶職人を集めて造られた町で、現在は2軒の鍛冶屋が営業されています。鍛冶屋では、鍛冶職人が包丁を造っている工房を外からのぞき見ることもできますよ!

 

相良氏の初代・相良長頼は、源頼朝の命により遠州相良(現在の静岡県南部)から人吉荘地頭として下向したのですが、そのとき遠州鍛冶の技術を人吉に持ち込んだ、とされています。江戸年間には、城下に六十六軒の鍛冶職人を集めて鍛冶屋町を作り、刃物・銃・農具を製造する一大産地として発展してきました。

 

蓑田鍛冶工場

 

街路から工房がこうして見えるようになっています。奥には作業されてらっしゃる鍛冶職人さんも見えますね。こちらの正光刃物製作所・蓑田鍛冶工場さんは、なんと500年の歴史を誇るのだそうです。

 

相良藩は細川家・島津家という大国にはさまれていましたから、相良氏は独特の兵団を組織して対抗しました。それは、兵農一体といって、平時は武士も農耕に従事して、戦となれば農民も武器をとって立ち上がるというものでした。そのなかで、刀工の技術と野鍛冶の技術は一体となり、独特な鍛冶工芸が発展する素地となりました。

 

 

取材時期がひなまつりの時期だったため、鍛冶屋町公園には、竹あかり用の竹筒がそこかしこに、にょきにょき生えていました!

 

 

お土産物店「大吉」。こちらは、とあるアニメ作品のファンのかたにはたまらないお店ということで・・・。

 

 

熊本県出身・在住の漫画家である緑川ゆき先生の「夏目友人帳」のグッズがたくさんあるお店、ということでも知られております。

 

あちこちに、夏目友人帳の人気キャラクター、ニャンコ先生がいらっしゃいます。

 

 

夏目友人帳は人吉温泉のタペストリーにもなっているんですね・・・。人吉には、緑川ゆき先生のご親戚が経営なされてる喫茶店などもありますので、こちらはまた機会を改めてご紹介させていただきます。

 

 

前回ご紹介いたしました、釜田醸造所さんもこの鍛冶屋町のなかにあります。かつての鍛冶職人街の雰囲気を残すレトロな町並みをはじめ、みどころたくさんですので、ゴールデンウィークにまだ遊びに行くところが決まっていない人にはオススメですよ。

 

人吉は酒蔵巡りなどもするなら、お父さんもお酒飲みたいでしょうし、観光ガイドタクシー・加来タクシーをぜひご検討くださいね。

 

人吉鍛冶屋町の「みそ・しょうゆ蔵」蔵めぐり(釜田醸造所)

 

昭和6年に『さがらみそ・マルカマ醤油蔵』として創業した釜田醸造所

 

人吉市鍛冶屋町にあるこちらの醸造所では、味噌・醤油の製造工程を見学することができるほか、佃煮や味噌漬けなどの試食もできる人気スポットです。

 

 

 

大正末期に建築された接客用として建てられた建物を、平成元年にみそ・しょうゆ蔵として改装しているものです。工場見学のみならず、大正浪漫ただよう建築様式もあわせて楽しむことができます。

 

訪問時はひなまつりの時期でしたので、入口付近にはミニひな壇がたくさん飾ってありました。

 

 

城下町特有の奥行きのある、いわゆる「うなぎの寝床」と言われるような細長い工場となっておりますので、そのため各工程を間近で観察することができます。稼働中の工場ですので、くれぐれも従業員さんの邪魔にならないように気をつけなくてはいけません。

 

諸味室

 

醤油の原点である「天然もろみ」。麹菌や酵母がうまみや香りを造るといいます。およそ1年をかけて熟成します。

 

蒸した大豆と炒った小麦を混合し、種麹を加えて「しょうゆ麹」を造ります。これを食塩水と一緒に仕込んだのが諸味(もろみ)です。

 

ひとつのタンクに5,400リットル仕込むことができます。当社の諸味は自然の環境で攪拌を重ね1年間ねかせます。麹菌や酵母、乳酸菌が働いて分解・発酵が進み、さらに熟成されて醤油独特の色・味・香りが生まれます。

 

この諸味を絞ったのが「生しょうゆ」です。

(工場内説明文より)

 

 

蒸煮缶

 

蒸煮缶(じょうしゃかん)を洗浄する従業員さん。蒸煮缶は、醸造用原料を加圧蒸煮する回転式の圧力鍋で、大豆なら500kgを一度に煮ることができます。
この中で原料を洗って蒸して冷やす作業ができます。

 

地元の小中学生の定番の社会科見学コースになっているようで、説明文があちこちに貼ってあります。

 

みそ袋詰室

 

味噌充填機を使ってのみそ袋詰めをする場所のようです。忙しく作業をされていました。

 

 

展示販売コーナーでは、釜田醸造所さんで造られている佃煮や味噌漬けなどを、日本茶をいただきながら食べくらべすることができます。どれもおいしい!

 

 

室内にはずらっと釜田醸造所さんの商品が並んでいます。ギフト用のセットなんかもあるんですね。

 

 

建物の雰囲気なども含めて、あじわい深い体験型施設です。

 

 

2~3月のひなまつりの季節のみ展示される、釜田家に伝わるひな人形。じつに立派ですね!

 

人吉酒蔵巡りのさいには、こちらの味噌蔵巡りもルートに加えてはいかがでしょうか。

 

繊月酒造 焼酎蔵

 

人吉酒蔵巡り第二弾は、繊月酒造です!!明治36年から球磨焼酎造りを行ってきた老舗の酒造メーカーで、「繊月」「たる繊月」「川辺」といった主力商品は、テレビCMでもよく見かけます。

 

今回は、この繊月酒造の工場見学に訪れました。この工場には、年間6万人もの観光客が訪れるとのことです。

 

 

実は繊月酒造の名は16年ほど前に改称されたものでして、峰の露酒造が平成15年に創業100周年を機に、繊月酒造と名を改めました。

 

 

工場入口にある、無料で利用できる足湯です。1921年開業の堤温泉から源泉(炭酸水素ナトリウム泉)を引いており、源泉掛け流しとなっています。神経痛や筋肉痛、疲労回復の効能が期待できるとか。

 

堤温泉は繊月酒造に隣接しており、無人で200円で利用できますので、いっしょに予定に組み込むといいかもですね!ただしタオル、石けん、シャンプーは持参しないといけないのでご注意を。

 

 

受付を済ませて工場内へ・・・。例のごとく、工場内撮影禁止でしたので写真はありません。球磨川の清らかな伏流水と、厳選された米を用いて、およそ1ヶ月をかけて繊月焼酎が造られているそうです。

 

製造工程は2つに分かれます。麹米を用いて麹育成を行い、一次もろみを造る製麹工程と、主原料米を作る主原料処理工程です。製麹工程で造られた一次もろみと、主原料処理工程で造られた蒸米とをあわせたものを、二次もろみと呼び、これを15日かけて熟成し、蒸留過程を経て、貯蔵されます。

 

 

 

繊月酒造の約30種類のお酒を無料試飲できる、繊月城見蔵。酒飲みにはたまらない空間だと思います!各テーブルに置かれている定番商品のみならず、壁にずらっと並べられたものにも「試飲用」のラベルが貼ってあります。これは飲まずにはいられません。

 

 

「試飲用」ラベルが貼ってあるものは、好きに注いで味見することができました。

 

 

工場限定販売のものも多くありますので、お土産品コーナーでそういった限定品を買っていくのも楽しみのひとつ。

 

酒飲み友達でグループで見学するときに、ハンドルキーパー役の人を造らなければいけないのも酷だということでしたら、ぜひ加来タクシーをご用命ください。タクシーは高いイメージがあると思いますが、1台あたりでの料金制ですので人数割りですとお安くあがりますよ!詳しくはお電話くださいね。

 

球磨焼酎ミュージアム 白岳伝承蔵

 

今回は酒蔵巡りをしようと人吉にやってきましたよ!まずはトップバッターとして、白岳伝承蔵をご紹介いたします。

 

こちらを運営されている高橋酒造さんの球磨焼酎「白岳」といえば、熊本のトップブランド。よくテレビCMもばんばん流れている知名度抜群の焼酎です。

 

 

「球磨焼酎」ブランドは、1995年に国税庁により「酒類の地理的表示の産地指定」を受け、国際的ブランドとして保護されています。他に日本で産地指定を受けているものとしては、「壱岐」「琉球」「薩摩」「白山」などがあります。この指定を受けているということは、球磨焼酎とは国際的にブランドを保護すべきという価値が認められている焼酎である、ということなのです。

 

酒類の地理的表示の産地指定とは?

WTOが1994年に作成したTRIPS協定(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定)により産地名を勝手に商品に使ったりできないようになったんですね。例えばボルドーワインとかもそうですが、TRIPS協定で保護されているブランドですので、「熊本県産ボルドーワイン」とか、「ボルドー風ワイン」なんて表記しても協定違反ということになります。これを受けて、日本でも酒類の地理的表示の産地指定を行い、産地名ブランドの国際的な保護を行っています。

 

 

訪問時はひな祭りの時期で、人吉球磨地方一帯でのお祭りである「人吉球磨は、ひなまつり2019」の開催期間中でした。

 

白岳伝承蔵の入口すぐのところにも、見事なひな壇が飾ってありました。人吉は毎年1ヶ月以上に渡って、ひな祭りのイベントがあっているんですよね。観光施設や商店街など約100カ所にひな人形が飾られるほか、開催期間中は、人吉球磨の温泉協賛施設にて、球磨川温泉郷めぐりスタンプラリーも開催されています。

 

 

白岳ギャラリーでは、過去の白岳のCMや広告ポスターが展示されていました。

 

なぜ、こんな中途半端な写真なのかというと、試飲コーナー以外は撮影禁止だったからです。なので、試飲コーナーから入口だけ撮影・・・。醸造工程などを解説したパネル展示や、白岳の歴史を紹介したビデオ上映などもあるのですが、残念ながらそれらは写真でご紹介することができません!ぜひ実際に足を運んでみてご覧になってくださいね。

 

 

さて、お楽しみの試飲コーナー!!!球磨焼酎400年の歴史の勉強も、それはそれでとても興味深いのですが、実際のところのみなさんのお楽しみはこちらではないでしょうか!8種類の瓶から、お好きなものを直接注いで飲める趣向になっています。いろいろ味見させていただきましたよ。

 

なかにはここでしか買えないブランドもあり、たとえば一番手前の「KOMORIUTA(子守歌)30度」もその1つ。長期甕貯蔵熟成酒(古酒)で貴重なものらしく、市販されてないのだそう。

 

 

白岳を使用したリキュール類。ゆずもんも白岳伝承蔵限定だったと思いますが、試飲してみましたが、これがたいへんおいしい!さわやかな飲み口で、たいへん気に入りました。試飲するといろいろ買いたくなりますね!限定商品を買って、友人知人へのお土産にするのもいいですね。

 

 

地元特産の食品、酒、くまモングッズなども販売されています。きちんと堪能するならば、上映~パネル展示観覧~試飲~お買い物で、所要時間1時間くらいは最低見ておかないといけないと思いますよ。

 

老神神社

 

老神神社は、鹿児島の霧島神社を勧請したと伝えられていまして、社殿は人吉藩主であった相良氏により造営されました。創立年代は不明ですが、相良一族が古くから産宮と信仰してきた神社であり、もともとは山深い所に小さな祠があるだけだったそうです。

 

拝殿の右側に繋がっている建物が神供所で、これがあるのが球磨・人吉地方の神社に見られる特徴となります。

 

神供所を備える人吉球磨地方で見られる神社形式

 

図示するとこんな感じです。老神神社の現在の姿は、もともと鍵状の建築物だったものを、近年切り離したものです。現在は桟瓦葺になっていますが、かっては一連の茅葺屋根となっていました。

 

なお、神供所とは、神様へのお供え物を整えるための場所といわれています。

 

茅葺きの覆屋と、その中に護られている入母屋造りの本殿

 

茅葺きの覆屋と、その中に護られている入母屋造りの本殿。建築は江戸中期の1625年頃といわれています。鉄柱で保護されているのは、文化財保護の観点からは仕方がないことですね。

 

本殿は内外ともに漆で塗られており、彫刻に彩色を施されています。江戸時代前期の神社本殿を代表する建築物として、平成2年9月11日に国の重要文化財に指定されています。

 

 

通常は参道をはさんで一対で建てられる石灯籠ですが、こちらは人吉球磨地方では見られない珍しい建て方で、参道の真ん中に建てられています。

 

灯籠は四角、六角、円形が多いのですが、こちらは基礎から笠まですべて八角形になっています。このような八角形の石灯籠は青井阿蘇神社でも見られます。

 

 

この老神神社は西南戦争のときの弾痕が残る神社としても知られていますが、例によりまして弾痕が発見できず・・・。

 

移築したさいに板壁の下半分を取り替えているため、現在では上部に12カ所の弾痕が見られるということです。

 

 

御祭神:瓊々杵命、木花咲耶姫命、彦火々出見命、火照命、火須勢理命、豊玉姫命
例祭日:11月26日
境内社:菅原神社、弁財天社、稲荷神社、淡島神社

 

人吉球磨地方を代表する、江戸時代の貴重な神社建築となります。繊月酒造のすぐ近くですので、酒蔵巡りのときについでにまわれますよ!

 

永国寺(幽霊の掛け軸で有名なお寺)

 

創建1408年と、600年の歴史を誇る永国寺。開山の実底超真和尚が描いたと伝わる幽霊の掛け軸が有名なお寺です。肥後三十三観音の第9番札所でもあります。

 

西南戦争では一時、薩軍が本陣を置いていました。

 

 

ご本尊は釈迦如来です。明治10年の西南戦争時における人吉市街戦で寺は焼失し、明治24年に再建されました。

 

その後、平成28年に改築されましたので、真新しく、幽霊寺のイメージで訪問すると戸惑いますね。

 

 

 

幽霊の掛け軸(レプリカ)。この幽霊伝説のことをビデオで見ることができます(約10分)。

 

幽霊の由来

慶永十五年(約五百六十年前)相良九代前續公の時代、永国寺開山実底超真和尚の筆といわれている。

 

当時、球磨郡木上郷に知名の士ありて、妾さんという女性あり、不慮の死により成仏出来ず、中有の世に迷い、和尚の法力を頼って、数夜にわたって出現せしを和尚ねんごろに因果の道理を説きつつその姿を描いたと伝えられている。

永国寺住職 記之

 

ある地元の名士に本妻とは別に妾がいて、本妻がその若い妾に嫉妬して長年嫌がらせをしていたので、それに耐えかねて妾が球磨川に入水自殺したところ、成仏できずに幽霊として出没するようになってしまった。それを和尚が幽霊を絵に描き、いかに醜い姿で現世にとどまっているのかを知らしめたそうです。存命中は美しい女性だったので、現世に醜い姿をさらすのが耐えきれないので、どうか成仏させてくださいと和尚に乞うたのだとか。そうして和尚が引導を渡し、無事成仏できたのだそう。

 

 

西南戦争時、田原坂で敗退した西郷隆盛が33日間この寺に本営を置いたのですが、そのときに西郷隆盛が悔しさをしたためた書がこちらだということです。幽霊のビデオでは、こちらの解説もあります。

 

 

幽霊が出たという池。夏は睡蓮が美しく咲き誇ります。

 

8月にゆうれい祭りがあり、そのときだけ幽霊の掛け軸の本物が展示されるということです。