轟御殿/轟泉自然公園

 

宇土細川藩菩提所跡(泰雲寺、原泉社)のある、轟泉自然公園に本日はやって参りました。

 

 

通常、寺跡や神社跡というのは、単に木碑のみが残るケースが多いのですが、こちらは荒廃こそ進んでいるものの、参道の階段などは保存されており、当時の面影を残しています。

 

 

泰雲寺跡・原泉社跡

慶安年間(一六四八~一六五二)宇土細川藩二代藩主細川行孝公が父である初代立孝公の菩提を弔うために建立したのがこの泰雲寺です。

もと八代に建立した宗功寺を宇土に移したもので禅臨済宗京都大徳寺内高桐院末寺、泰雲寺三車山と呼びます。

立孝公以降の歴代藩主の墓地もあり以後宇土細川氏歴代の菩提所となっていました。ところが明治時代廃仏毀釈によって泰雲寺は廃寺となり、そこに神道による原泉社を建て細川氏歴代の霊を祀るということになりました。

(現地案内板より引用)

 

 

細川家歴代墓苑は立入禁止になっていました。熊本地震の影響ではないかと思われます。

 

 

こちらは公園として整備されていますので、この日は夏休みということもあり、家族連れのかたがよく訪れていました。

 

なぜ轟御殿というのかといいますと、まずこの場所が宮庄町字轟という地名であり、第十一代藩主細川立則公が文久2年(1862)にこの地を隠居所としたため。新小路町の「御殿」と区別するために、頭に字名をつけて「轟御殿」と呼んでいるのだそう。

 

 

公園の一角にある轟泉資料館。地元の歴史資料などを展示してあります。(入館無料)

 

 

宇土細川藩関連資料や轟泉水道の資料など、大きくはないものの地元の歴史資料を見ることができて興味深かったです。

 

 

昭和36年まで作られていたという轟和紙の展示スペース。轟村石橋の和紙は、宇土細川藩の御用をつとめ、加藤清正公御用達の製法を伝えていると言われています。

 

 

宇土細川藩の歴史や、地元の歴史を知るにはうってつけの場所だと思いますので、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。