永国寺(幽霊の掛け軸で有名なお寺)

 

創建1408年と、600年の歴史を誇る永国寺。開山の実底超真和尚が描いたと伝わる幽霊の掛け軸が有名なお寺です。肥後三十三観音の第9番札所でもあります。

 

西南戦争では一時、薩軍が本陣を置いていました。

 

 

ご本尊は釈迦如来です。明治10年の西南戦争時における人吉市街戦で寺は焼失し、明治24年に再建されました。

 

その後、平成28年に改築されましたので、真新しく、幽霊寺のイメージで訪問すると戸惑いますね。

 

 

 

幽霊の掛け軸(レプリカ)。この幽霊伝説のことをビデオで見ることができます(約10分)。

 

幽霊の由来

慶永十五年(約五百六十年前)相良九代前續公の時代、永国寺開山実底超真和尚の筆といわれている。

 

当時、球磨郡木上郷に知名の士ありて、妾さんという女性あり、不慮の死により成仏出来ず、中有の世に迷い、和尚の法力を頼って、数夜にわたって出現せしを和尚ねんごろに因果の道理を説きつつその姿を描いたと伝えられている。

永国寺住職 記之

 

ある地元の名士に本妻とは別に妾がいて、本妻がその若い妾に嫉妬して長年嫌がらせをしていたので、それに耐えかねて妾が球磨川に入水自殺したところ、成仏できずに幽霊として出没するようになってしまった。それを和尚が幽霊を絵に描き、いかに醜い姿で現世にとどまっているのかを知らしめたそうです。存命中は美しい女性だったので、現世に醜い姿をさらすのが耐えきれないので、どうか成仏させてくださいと和尚に乞うたのだとか。そうして和尚が引導を渡し、無事成仏できたのだそう。

 

 

西南戦争時、田原坂で敗退した西郷隆盛が33日間この寺に本営を置いたのですが、そのときに西郷隆盛が悔しさをしたためた書がこちらだということです。幽霊のビデオでは、こちらの解説もあります。

 

 

幽霊が出たという池。夏は睡蓮が美しく咲き誇ります。

 

8月にゆうれい祭りがあり、そのときだけ幽霊の掛け軸の本物が展示されるということです。