檜垣寺(九品山浄土院蓮台寺)

 

宮本武蔵が五輪の書をしたためたとされる霊巌洞(れいがんどう)。雲巌禅寺(うんがんぜんじ)のなかにあるのですが、そこで桧垣媼(ひがきのおうな)の伝説を知ったという人は、意外と多いのではないでしょうか。雲巌禅寺には、檜垣が岩戸観音(=雲巌禅寺)に日参していたという逸話が残されています。

 

檜垣は、白川のそばに草庵を結び、観音像を安置した・・・とされていますが、蓮台寺(れんだいじ)は、まさにその檜垣の草庵の跡に建っているのです。

 

 

蓮台寺の塀の、住所表記にご注目ください。実は、地名もそのまま「蓮台寺」でして、江戸時代には蓮台寺村、明治後期から昭和初期にかけては、白坪村大字蓮台寺と呼ばれていました。

 

この地にあった草庵から岩戸観音まで、檜垣が日参したとされていますが、その距離をネット地図で経路検索をしてみますと、最短距離で10.6kmありました。足腰が丈夫な人で2時間ちょっと、というところでしょうか。現実的に徒歩で往復できない距離ではないですが・・・。

 

 

本堂には、熊本地震の影響が残っているようで、ブルーシートがかかっています。白川のほとりにある蓮台寺ですが、実は白川改修工事の際に、寺域が狭くなってしまったのだということです。

 

 

謡曲「檜垣」と蓮台寺

汲んだ水を報謝のためにと毎日岩戸観音に供える痛々しい老女があった。奇特に思った僧は水を汲む井戸を尋ね、昔、大宰府で舞の誉れ高い白拍子檜垣の亡霊である事を汁。

僧の回向を受けた桧垣は、昔を思って舞を舞い、なおも回向を乞いつつ消え去るのであった。

謡曲「桧垣」は、主題歌「年ふれば我が黒髪も白河の水はぐくむまで老いにけるかな」を軸とし老衰と因果の苦を、水を汲むことにかけて言い表して、有為転変のはかなさを語りかける名曲である。

蓮台寺は千有余年の歴史を持つ古刹であり人皇六五代花山天皇の頃、閏秀歌人桧垣がここに草庵を結び、観音信仰の生活を送った事が寺歴に記され、境内には墓と井戸がある。

謡曲史跡保存会

 

 

桧垣の井戸

桧垣は、平安時代の女流歌人で蓮台寺に住み、岩戸観音を篤く信仰したと云われている。

肥後の国司、歌人としても名高い清原元輔との交流が深く、「桧垣集」にこの贈答歌が見られる。

この井戸は桧垣が使ったと伝えられる。

 

 

くまもと水守(水ガイド)として、熊本県内の水遺産はひととおり回りましたので、そのときに蓮台寺には一度訪れたことがありました。ここは面白くて、水遺産に指定されていますが水が見えない、というパターンなんですよ。

 

 

白川の氾濫の犠牲者を悼むため、明空上人が作り上げた千体地蔵。

 

 

地蔵群の中央には、昭和58年11月の地蔵堂改築のときに発見された放牛地蔵ゆかりの台石があります。(この写真では左端の小屋のところ)

 

毎年9月24日には千体地蔵まつりが行われています。

 

 

桧垣の塔は、加藤清正の時代には熊本城内に移されましたが、加藤家改易後に肥後に入国した細川忠興の目にとまり、蓮台寺に戻されました。文化的素養が高かったために、桧垣のことを知っていたのでしょう。

 

 

なお、返還の際、基礎の1段が返還し忘れになっているとか・・・。

 

 

蓮台寺と隣接している天満宮。

 

 

帰りがけに、御朱印もいただきました!