岩本橋~江戸時代に建造された石造眼鏡橋

 

岩本橋は、肥後と筑後を結ぶ三池往還の藩境に架かる、2連アーチ式の石造眼鏡橋です。(熊本県重要文化財建造物 昭和40年2月25日指定)

 

史料が少なく、竣工年が明確には分からないようなのですが、明治元年という説や、明治9年という説があります。いずれにせよ、じつに150年前の建造物なのですね。

 

 

昭和37年7月の集中豪雨で、岩本橋の一部が破壊されたため、新岩本橋が造られました。そのさいに川には分水路が設けられ、そのときから岩本橋の下を流れるのは支流になりました。

 

石橋はいまでも渡れるようになっていますが、渡った先は中州の島になっており、公園として整備されていました。向こう岸には通じていません。

 

 

諏訪川(関川)は藩境を流れているため、軍事的理由により長らく肥後藩により架橋が許されていませんでした。

 

架橋前は、通行人は川幅25mを歩渡(かちわた)りしていました。しかし、豪雨により増水すると旅人は足止めされることから、肥後藩には架橋の許可願いが住民から出されていたそうです。

 

 

藩境のこの場所には、かつて岩本番所が置かれ、諏訪川を渡る通行人を監視していたということです。その岩本番所も、この橋が竣工した翌年の、明治2年に廃止されました。

 

番所では、キリスト教の取り締まりや、農民の脱藩の監視、旅人の通行手形を改める、物流の監視といったことを取り締まったそうです。

 

 

橋脚を保護するための水切り。上流部と下流部にそれぞれ設けられています。

 

 

岩本橋を下から見上げてみました。

 

欄干の菊花紋から、皇居の二重橋を手がけた名工、橋本勘五郎の作ではないかとの話がありますが、史料の裏付けがなく、推測の域を出ません。

 

 

新年明けましておめでとうございます。

 

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